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イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが提唱した、「パレートの法則」というものがあります。これは全体の大部分は、一部が生み出しているという説です。「2:8の法則」や「働きアリの法則」のように言う場合もありますが、アリで説明しますと、全体の中には2割の働き者・6割の平凡な者・2割の怠け者がいます。そのうちの働き者だけを取り出して精鋭部隊を作ろうとしても、そのグループがまた2割の働き者・6割の平凡・2割の怠け者になるというように、常にその法則が働くということです。
ここではパーセンテージはさほど重要ではなく、役割は全体の中で変化していくということが重要だと思います。たとえば会社の中では仕事はすごい出来るけど、家に帰ったら何もしないとか、家では家事など自分がほとんどのことをするけど、実家に帰ると親がするので何もしないというように、我々も周りの環境で行うことに変化が出てきます。
ですので、自分がある状況でどのような役割かを理解すると、日常でジレンマがなくなる場合があります。たとえば、ある程度仕事ができる人は、会社であまり仕事ができない人に対して、「給料分の働きをしろよ」とか「誰の働きで給料もらってると思っているんだ」のように思ってしまいますが、パレードの法則が働くならば、必ず仕事ができない人がいますので、考えても文句を言っても仕方がないと受け入れることができ、自分に与えられた仕事や役割を果たせば良いことが分かります。企業や商売においては、利益というものが関わってきますので、ただ受け入れるのではなく、状況によっては解雇しなくてはならない場合も出てくるとは思いますが。
今問題になっている生活保護においても、本当に必要な人、微妙な人、明らかにズルをしている人がいますが、すべて役割ですので、現時点ではある意味いて良いのです。現時点ではと言ったのは、アセンションが進むにつれてカルマの法則はより短期に結果をもたらしますので、通常は苦しみや失敗を通して、修正する学びが早めにやってきます。もちろん政治家や役人でその問題に関わっている人たちは、「役割だからどうしようもないね」と開き直るのではなく、改善策を模索していく役割をしていきます。
「悪いことをするなら堂々としなさい。こそこそするな。それも何かの役に立つだろう」(マハラジ)
イエスキリストも、ユダが裏切るのをためらっているのを見て、「去れ、行きて汝のなすことをなせ」と言いますね。
(※ ここではあるがまま見る=善悪を超える考え方を提案しているのであって、悪いことを勧めているのではありません)
同じように、浄化のプロセスでつらい状況の人たちの中には、「何故私ばかり・・・」とか「あの人たちは欲望にまみれて生きているのに何故普通なの・・・」というように、納得できない場合が多々あると思います。しかし、自分が浄化のプロセスの中で、多くのネガティブなエネルギーを愛する、光に変える役割だと受け入れることができれば、気持ち的にはある程度楽になると思います。苦しい浄化を経験する人とあまり影響を受けない人、目覚める人と目覚めない人が必ずセットで存在します。問題なのは、納得できない思いを持ち続けることがストレスになることで、結果的に自分でよりネガティブなエネルギーを背負うことになりますし、不平を言うことでストレス発散にはなるかもしれませんが、問題が解決することはありませんね。
ただ、そうは言っても、マインドは勝手にそのように思いを浮かび上がらせます。それがマインド=心というもので、それもマインドの役割ですので、そのように思うこと自体は全く問題ではありません。思い続けることがストレスになります。ですので、そのような思考が起こった時には、はじめのうちは、パレードの法則のようなことを思い出して、マインドを納得させる必要が出てきます。しかしそれも切りがなくなってきますので、最終的には瞑想などを通じて、そのような思考が湧き起ってはただ流れていくように、マインドをコントロールする必要があります。科学的に言えば、日常の脳派がアルファ波やシータ派が出るようになれば良いということになります。眠っているときは、アルファ波とシータ波が出ていますね。瞑想は、目覚めた眠りに至る訓練になります。
浄化のプロセスが加速していく理由にもなりますが、今現在の地球は波動が上昇し、瞑想状態に導く状態と言いましょうか、既にある瞑想状態の波動と言いましょうか、そのような環境で我々は生きています。ですので、とても眠いし、眠っても眠っても眠いし、物忘れは激しいし、ということが当たり前になります。(これは有酸素運動を続けることで軽減できる場合があります)また、人によってはお布団に入った静かな時間に、「シャーーーー」とか「ブ〜〜〜〜ン」のようなある周波数の音が耳障りなほど聞こえてしまいます。
話を戻しますが、集合意識という観点から見てみますと、ある一定の数の人たちが浄化のプロセスを経験しクリアすることによって、それが全体に行き渡ります。それは登山に喩えると、登山道ができていないときには、草を刈ったり、階段を作ったり、ロープを張ったりと登山道を作る人たちがとても苦労しますが、登山道が完成したらあとの人たちは普通に登るだけで良くなりますね。
つまり、浄化のプロセスを苦しみながら進む人がいるお蔭で、あとから続く人たちが楽に同じプロセスを進むことができます。パソコンにしましても、20年前はごく一部の人のものでしたが、今は子供から老人までパソコンをしていますね。アセンションの流れも似たようなものです。
聖者マハルシは「他人のことは放っておきなさい。まず自分の面倒を見なさい」と言っていますね。自分の役割を理解するというよりは、今自分に起こっていることが既に役割ですので、すべてを感謝して受け入れ、日常の学びをしっかりすることが大切になります。
最後にその役割を放棄できるか、という問題が残りますが、かつて私の師にそのことを聞いた人がいます。その時に師はこう言いました。
『その役割をやめることはできるかもしれないけど、地球に生まれることを許された御霊の成長にとっては良いこととは言えない』