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聖地の光

 聖地を訪れていると、時々こういった言葉を耳にします。
『人が来て荒らされたくないから、本当は多くの人たちに来て欲しくない。』
 こういった言葉は、その聖地を大切に思うが故に、愛するが故に出てくる言葉だと思います。そしてその聖地で、世界の平和などをお祈りしています。

 しかし我々の感情・言葉・思考はエネルギーです。『来て欲しくない』、『多くの人たちに知られたくない』という思いは、現実にその聖地に閉鎖的なエネルギーを築くことになります。ですから、こういった思いを持った人たちの祈りは、愛を広げることと、その聖地のエネルギーを広げないようにすることという、相反するエネルギーを生み出していることになります。当然単純に、プラスマイナスゼロという関係にはなりませんが。
 日常的な生活で喩えるならば、地元に美味しいレストランがあったとき、人がたくさん来ると待ち時間ができたり、落ち着いた雰囲気が壊れるからという理由で人に教えないでいると、その店自体が赤字になって営業継続が困難になり、結局自分も食べる機会がなくなってしまうことに似ています。実際には多くの人たちが店に来た方が、常に新鮮な食材を提供でき、益々活気が出てきます。

 日本には素晴らしい聖地がたくさんあります。実際にはその聖地のエネルギーが活性化し、多くの人たちに行き渡らなくては、世界の平和はあり得ません。日本は世界の雛型です。もっと言うならば、宇宙の問題を解決すべくこの地球が、そして地球の問題を解決すべくこの日本があります。つまり、日本の光が世界中に、宇宙の隅々まで行き渡らなければ、地球の平和、宇宙の調和は為されないのです。そしてその役目を与っているのが日本人です。ロナ・ハーマンによる大天使ミカエルは日本人のことを、黄色人種と言わないで、黄金人種と呼びます。これは日本人が優れているという意味ではなく、神と共に行う大切な役目があるということです。勿論世界の人々全てが神の子で、神々と行う役目があります。ただ日本には特殊な役割が与えられていると言うことです。
 富士山は世界に神のパワーを送ることができる霊山という説もありますし、新潟での地震は他の国との繋がりから起こったという説があるように、我々が望む望まないに関わらず、しっかりと世界と繋がっているのです。

 また、聖地に多くの人たちが来ると荒れてしまうという思いも分かります。ある聖地の滝はとても素晴らしい光を放っていても、その近くにある拝殿は、多くの人たちが欲望のお願いをする為に穢れてしまっている場合も勿論あります。しかし考えようによっては、多くの人たちは穢れを持った人たちで、我々はそうではないという、傲慢さを感じないわけではありません。マヤ語の挨拶で『インラケッチ(私はあなた、あなたは私)』という言葉がありますが、突き詰めていけば自分と他人の差はなくなっていきますし、全てが神様です。本人が意識していなくても神の仕事を手伝っていることがあります。欲望を叶えようと祈願に来た人が、その聖地の光を住んでいる地域や家族や職場に運んでいる場合もあるのです。

 ですから聖地での祈りは、そこを訪れる者たちの為に、森羅万象あらゆる生命の為に、日本の為に、地球の為に、宇宙の為にお祈りをする方が、神々や聖地を守っている存在たちは働きやすくなるでしょう。実際に聖地の中心が手つかずの自然の中にあったとき、人が来ると草木を踏んでしまう為枯れてしまう場合がありますし、禁足地として人々が入れないようにしてある所もあります。しかし、その中心の光が広がりを持てば、その場所に来なくても必要な光は受け取ることができるのです。
 伊勢神宮や霧島神宮のように、どんなに多くの人たちが来ても、欲望のお願いをしていても、常に清浄な場を保っているように、我々は聖地を本来の姿に戻すことも、それ以上の聖地にすることも可能なのです。