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慢心

  春日大明神の御神託に、
諸々の人等よ、神明の助けを受けんと思わば、常に慢心を退けよ。喩えば、一毛の慢心の神明を隔つる事、大雲の如し。
とあります。

 どうしても、私たちは生きている間に素直さを忘れ、自分の価値観に重きを置くようになってきます。そして人を判断し、批判し、自分の価値観にあったようにコントロールして行こうとしてしまいがちです。それがたとえ相手のことを思ってのことだとしても、私たちが良かれと思っている事が、必ずしも相手の成長の為に役立っているとは限りませんし、神の目から見ると、世の為人の為になっているとも限りません。そこで、様々な本や教えに書かれているように、『人(自分)のありのままをまず受け入れ、判断を手放すこと』が必要になってきます。
 
 このことはスピリチュアルな学びを始めた人は特に意識する必要があると思います。どんなに高度な学びを受けても、通過儀礼を受けても、最終的などこかに、赤子のような素直な心、絶対他力という境地が必要です。これはとても皮肉なことです。赤ちゃんや幼子の時は誰にでもできたことが、何時の間にかできなくなるのですから。特に男性は頭で理解しようとしてしまいます。その点、女性は神の光に身を委ねることが男性よりもうまいですね。

 怒りの多くは慢心からやって来ます(但し、子供たちの怒りは大人が作り出した社会の歪みを映し出す鏡のような気がします)。自分の思う通りに行かない、人はこうあるべきだ、何故私の言うことが分からない、あの人さえいなければ・・・等々。怒りの感情が沸いてきたら、自分自身をチェックしてください。成長する為の素晴らしい機会が与えられたのだと思えるようになったら、最終的には全て、『ありがとう』と言うことになってきます。

 そして慢心を退けていくと価値観が変わってくるかもしれません。自分の住みたい場所に住んでいるという思いから、住まさせて頂いている、食べたいものを食べているという思いから、神の恵みを頂いていると言うように。つまり生かされているという思いですね。

 数年前、テレビで焼畑をする農家の人たちが映っていました。畑を焼く前に、『火が燃えすぎないように、畑にたくさんの作物がなるように』と神々に膝をついてお祈りをしていました。人は地球を、自然を支配できるという慢心など微塵も見られない、それはそれは美しい光景でした。