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神の罰

  神は罰を与えることがあるのでしょうか?一つの例として、ある盗人が神社のご神体を盗み、数日後交通事故に遭って生命を落としたとします。すると多くの人たちは天罰が下ったと思います。
 この一連の流れの中で、神は何処で関与したのでしょうか?一つ言える事は、神が事故によって盗人を罰することはあり得ないと言うことです。神は万能であり、愛であるならば尚更のことです。まさか、愛である神が、盗むのを確認してから事故で生命を奪うなどという、陰険さを持っているのでしょうか?あり得ませんね。それだったら盗む前に、盗人の最も信頼している人となって夢に出て、『お前がする事は、神は全てお見通しだよ。心を入れ替えなさい』とでも言った方が、よっぽど神らしいです。
 しかし、実際にはこれは宇宙の法則として許されていません。この宇宙の絶対原則の中に、大いなる自由意志があるからです。神ですら、我々の自由意志を蔑ろにする事は許されていません。そもそも自由意志を認めなければ、悪は存在しないかもしれません。悪・不正が起こる前に、神がそれを止めればいいわけですから。

 それでは何故事故で生命を落としたのでしょうか?それには様々な理由があると思います。まずご神体という高い波動のものを手にすると、人によっては隠れていた低い波動が一挙に表面化する場合があります。この低い波動が、事故として病気として現れる場合があります。また、ご神体を盗んだ事で、本人が『罰が当たるかもしれない』という不安や恐れが現実化する場合があるだろうし、周りの人たちが『ご神体を盗むなんて、必ず天罰が下るわ。』という、悲劇を期待した祈りとなって現実化を助ける場合もあるでしょう。

 ここでもう一つの例として、トンネル工事に関わる言い伝えに『工事中に女性がトンネル内に入ると事故が起きる。』と言うものがあります。山の神が女性が入ると嫉妬すると言われているそうですが、工事中はダメで、開通したらO.Kでは意味が分かりません。しかし、少なからずその言い伝えが現実化していると思います。それは何故かと言ったら、女性が入ったことで働いている者たちの中に、事故に対する不安や恐れが増大するからです。つまり原因は事実無根でも、その後の感情や行為のエネルギーは真実だからです。もしかしたら、トンネル工事は危ないから、そのように言って女性を危険から守っていたのかもしれません。しかし結果的に、時が経つにつれて不安や恐れを誘発するものだけが残っています。

 まさにこのような流れが、シェイクスピアの悲劇の常套手段ですね。ありもしないことから、悲劇が起こるのです。人の疑心・不安・恐れが運命の糸を自ら絡ませてしまうのですね。実際には、人間が神ですから、自ら悲劇を創造しているのです。ですから結果的に神が罰を与えたように見えるかも知れませんが、神にとっては冤罪ですね。

 そしてもう一つ大事なことは、神と言われている存在にもいろいろいると言うことです。ここで我々の自由意志が試されます。
罰を与える神を恐れ、信じるか?
それとも、愛に満ちた神を信じるか?