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進み具合 1

 2014年11月に台湾で選挙がありました。これはアジアにとってとても重要な選挙でした。外国にいた多くの台湾人が選挙のためだけに戻って投票し、結果は親中派の大敗という驚くべきものでした。スピリチュアルな世界では「日本は世界の雛形」という説がありますが、正確には日本+台湾が雛形ですので、そういった意味でも個人的にはとても注目していました。

 日本でも5月17日に、大阪で住民投票によって大阪都構想の是非が決まります。これも日本にとってとても重要なことだと思っていますが、大阪以外ではそれほど重要視されていない感じがします。若者の投票が明暗を分けると言われていますが、どのような結果になるかとても楽しみです。


 本題入ります。以前も書きましたが、セッションに来る方の中に、自分の学びの進み具合をとても気にしている方がいらっしゃいます。「自分がアセンションに付いていけるのか」、「スピリチュアルの学びをしている人たちの中で、自分はどのくらいの位置にいるのか」「最近スピリチュアルな学びに真剣になれないが大丈夫なのか」などです。実際には震災や恋愛、死などによって180度の意識の転換もありますし、エゴの助長により今までの学びを一瞬で台無しにしてしまうこともありますので、そのことをご理解していただいた上でいくつかの学びの状況の目安を記しておきます。
 ただし、真我実現を真剣に目指している場合と、スピリチュアルな学びを通じて現実社会を生きようとする場合ではアプローチが全く違う場合がありますので、ご自身の立場から整理してみてください。大事なことですから何度も書いていますが、どちらが優れているとかはなく、それぞれの役割になります。究極的にはすべてが自分になりますし、単なる夢でもあります。

 スピリチュアルに興味を持つと、当然のように様々な情報を集めますね。私も学びの始めはたくさんの本を読み、ネットで探しまくっていました。幸い今ほどネットが普及していませんし、検索の精度も大した感じではありませんでしたので、それほど時間をかけることはなかったです。今の人たちは情報過多になりがちですので、素晴らしい情報が増えていることは認めますし良いことですが、情報処理としては大変だと思います。(もしかしたら新人類にとっては、大したことではないかもしれませんが。)

 我々はたくさんの情報の中から自分に合ったものを選別していきます。つまり自分に必要ないもの、合わないものを放棄していく作業が始まります。聖者マハラジが「何をしてきたかではなく、何をするのをやめたかが重要だ」と言っていますね。山の頂上を目指すとき、登山道を決めたら、ただひたすら登るだけになります。しかし霊性修行という登山は地道な作業ですので、他にもっと良い道があるのではないか、と考えてしまいます。

 そこで色々学んで知識やスキルを増やそうとしている、自分に合った道を探究している段階と、色々学んだ結果自分の道が見つかり、もしくは教えの重要なポイントにそれほど違いはないということが分かり、その道を地道に歩き続けている段階があります。後者の場合でも上記で書いたように「もっと他に・・・」と思うことが多々ありますので、何度もブレながら再選択することになると思います。


 次に以前もここで書きましたが、サイババは三つの段階があると言っています。

1、神がいるということを知ること。
2、神を探す。(現象界の中に見い出そうとする)
3、探していた神は自分自身だったと知ること。(内なる探求)

 これはとても分かりやすいですね。このサイトをご覧の方たちは2か3だと思います。聖地巡礼は2になります。私もたくさんの聖地を巡りましたが、これは過去生のカルマ・欲求が残っている場合がほとんどです。かつては数か月かけて伊勢神宮詣でに行っていましたが、今は交通手段がとても便利で情報も豊富です。よって、このようなカルマ・欲求が残っているとどうなるかと言いますと、たくさんの聖地を廻ることになります。過去生と縁が深い場所に訪れて大きなエネルギー的な変化が起こることも少なくありませんので、全てを否定はしませんが、とても厳しい言い方をすれば、ある段階からは過去生の失敗を繰り返しているだけになっている場合があります。上記の分類でいえば、2から3へ進むことができていないことになります。ですから、「そろそろ飽きてきた」「特にどこに行きたいという所がなくなった」という場合は、霊性修行の成長という観点からしたら、3に向かう準備ができている場合がありますので、とても良い傾向になります。

 またスピリチュアルな学びがサークル的な楽しみになってしまう場合があります。それは全く悪いことではありませんし、多くの人たちはその段階を通過します。むしろ楽しんでいることができるなら、それはとても素晴らしいことなのですが、もしその方の役割がそこにとどまることを求めないときには、満たされない思いや、何かしらの現実に変化が起こり方向転換を促されます。
「今までのスピリチュアルな学びは何だったのだろう?」
「いろいろ学んできたのに、何もかもうまくいかない」
など今までの学びを否定したくなるようなことすら起こります。

 またスピリチュアルな学びに興味が薄れてくる場合もあると思います。というよりは増えていくと思います。必要最低限の学びだけで、あとは現実をしっかりと生きるようになる感じですかね。多くの人たちは悟りを目指しているわけではありませんので、スピリチュアルな教えを利用してこの現実をどのように生きていくのか、苦しみの意味を知り、その苦しみとどのように向き合い乗り越えていくのか、つまり自分のカルマとして受け入れ、カルマを解消することが大事です。スピリチュアルの学びが特に現実逃避になってしまっている場合は、物事がうまく進まなくなっていくでしょうし、現実に向き合わされることになる場合があります。ですので、人によっては興味が薄れた方が現実に向かいやすく、カルマの清算が進みやすくなる場合があります。

 このことに関連しますが、時々相談があるのでついでに書いておきます。

 スピリチュアルなグループで学んでいて、やめる時のことです。「そのグループの考え方が理解できなくなってきた」「リーダーが変ってしまった」「何か居心地が悪くなってきた」「お金がかかりすぎる」など様々な理由で離れたくなってくることがあります。特にそこで通過儀礼などを受けている方からよくある相談なのですが、「通過儀礼を受けた後やめると、よくないことが起こる」「神の罰が当たる」「肉体を去った後、低次元に落ちていく」「落ちていくだけでなく、そこから戻ることはとても難しい」などと言われてパニックになってしまう方がいます。

 結論から言えば、そんなことはありませんので安心してください。むしろ「束縛・不安・恐れ」から自由になる良い機会です。

 ちょっと紛らわしいのですが、聖者アンマとマハルシの両者の言葉に、「神になされた罪をグルは許すことができるが、グルになされた罪を神は許すことができない」というものがあります。この言葉は真実ですが、この言葉と上記のこととは全く違います。真のグルは束縛をしませんね。来る者拒まず、去る者追わず、ただすべてを愛するのが聖者です。また5月26〜28日に、聖者アンマが来ますね。上記のことで悩んでいる方は特に、その違いを感じてみるのが良いでしょう。

 また、スピリチュアルな学びで現実を変えようとする方もいらっしゃいます。辛い現実を変えたいと思うことは当然ですし、自分の人生に変化を生み出すきっかけになります。ただし、常に現実や結果を受け入れるということが必要です。ハイアーセルフとつながりたいと言いつつ、ハイアーセルフが役割や成長のために創造したドラマを否定することは矛盾になりますね。裏を返せば、ハイアーセルフとずっとつながっているということになります。

 取り留めもなく、いろいろ書きましたが、少しでも参考になれば幸いです。