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伯家神道から見る神

 私の周囲では、5月からの浄化の波で今も大変な人が多いように思います。また、人によっては浄化として辛い症状はありませんが、地球の今現在の波動の影響で、物忘れが激しい、眠い、切羽詰らないとやる気が起こらない、面倒くさい、あまり人と会いたくない、あっという間に一日が終わっている、などの状態が続く場合があります。一言で言ってしまえば、怠け者になったような感じがするかもしれませんが、ある意味脳波の問題ですので、しょうがないとも言えますが、具合が悪くなったり、全てが面倒くさくなってしまう前に、太陽をしっかり浴びてビタミンDを生み出し(窓越しではビタミンDは生み出されませんので、直接太陽を浴びる必要があります)、有酸素運動をして地球とのバランスをとるなどして、自分に合った調節方法を見つけてください。太陽も新しい宇宙と地球の為に、エネルギーを変化させていきますので、スピリチュアル的な観点からも適度に太陽を浴びた方が調整がしやすかと思います。

 また、最近多いのがヒーラーや整体師、マッサージ師など、人を癒す仕事をしている方が、体調や気分が良くないということでヒーリングを受けに来るケースです。あくまでも一つの推測ですが、お客さんの中には解放されるエネルギーが多くなってきている方がいらっしゃいますので、自分では認識できない領域のエネルギーなど、知らず知らずの間に受けて処理できずにオーラに溜め込んでいるパターンだと思います。自分とお客さんのためにも、リフレッシュできる時間をしっかり取ったり、環境を整えたり、時には助けを求めたりして、ケアを心がけていただきたいと思います。
 ちなみに私の場合、息を吸いながら両肩を後ろに回し、そのあと息を吐くと少し気が流れる場合があります。案外ちょっとした体の動きで処理できるものもありますので、自分なりの方法を見つけて頂けたらと思います。

 以前ここにも書きましたが、ヒーリングをしていますと、突然オーラのある層に穴が開き、そこからエネルギーの解放が起こることがあります。ブロックが出てくるというよりは、ゴミ箱のふたが壊れてゴミがこぼれ出すような感じです。私は事故によってオーラに穴が開き、噴水のようにエネルギーが出てきたことがありましたが、今は地球のエネルギーの上昇に伴い、もしくは何かのきっかけにより、潜在意識の深いところに溜まったものが突然解放されることがあります。そのときに情緒不安になったり、病気や怪我として現象化する場合もあります。今は地球に生きているだけで、瞑想をしているような状態に徐々に導かれていきます。瞑想をすると、潜在意識に溜め込んだものが顕在意識に浮かび上がってきます。そのようにして、今はどうしても浄化が起こるわけです。

 見方を変えれば、何もせずして霊性修行が進んでいるわけですが、それですと自分のペースでは進めず、地球のペースにあおられて、アップアップになってしまう人たちがたくさん出てきます。しかしこれも見方を変えれば、自分のペースですと一般的には怠けますし、霊性修行に向かおうとする意思も生み出されませんので、浄化が進まず、カルマに翻弄されて生きていくことになります。我々の潜在意識には過去生や先祖の因縁などのカルマのゴミが山積みですので、ある意味強引に進めたほうが、結果的には良いというように考えたほうが良いかと思います。



 本題に入りますが、私のように伯家神道を習っていると、そのことでの質問もありますし、ネットで書かれていることが正しいかどうか聞かれることもあります。しかし、ここで書くことは私が教わったことと、それに対しての私の個人的な解釈も含まれています。色んな流派があって良いですし、様々な解釈があっても良いですので、一つの捉え方として受け取っていただけたらと思います。


 伯家神道は本来は天皇になるべく人を現人神(あらひとがみ)にする、つまり、悟りに導く教えである十種神宝御法(とくさかむだからごほう)が教えの核になります。特に今年は伊勢神宮や出雲大社の遷宮もあり、日本の神様が本格的に動き出すというようなことを言っている方々もいるようですが、その場合、大抵は人格神的な、神話的な発想になってしまいます。(※真我の立場にたてば、そのような神ですらマインドの生み出す概念に過ぎません。マインドが静まっている、つまり眠っている間には神は存在しませんが、夢見や目覚めのようにマインドの目覚めとともに、神や世界は存在しますね。)

 そこで、伯家神道の教えを見てみますと、人格神的なものではなく、純粋に『エネルギー・働き』として見ていることが分かります。

 それでは、伯家神道の霊性修行の進み方から浄化の流れを見てみましょう。

 まず、我々は男女の営みによって生まれます。つまり、生まれる原因が愛欲のため、生まれる時にすでに欲望を背負っています。赤ちゃんとして生まれるときに、カルマが、パソコンでたとえると同じ、もしくは一部のソフトがダウンロードされてしまうことです。勿論良いソフトもたくさんあるのですが、そうではないソフトが苦しみの原因となるため、これを断ち切っていき(愛に変容し)、本来の神の姿になることが霊性修行になります。

 一般的な神社で行う祭式では、先ずはじめに『禊祓祝詞』を唱え、その後に『祓い幣』(白い紙がついている棒)を左右に振ってその場と祭式に参加する人たちを清めますね。そして綺麗になってから、神様を迎え入れます。つまり、浄化をしないと神様を迎え入れることはできないということになります。(※真我の教えでは、すべてが真我の現れで、降りてくる神はいません。)これは個人レベルでも同じで、内なる神を包み込んで隠してしまっているカルマを浄化しないと、我々の本性である神・愛・仏性を顕現できないということになります。

 その、愛・神・仏性を顕現させるために、例えば密教では、『灌頂』という通過儀礼を行い、仏になる道を目指していく場合があります。伯家神道も灌頂と同じように、神との縁を結ぶ通過儀礼としての神事があります。ここで重要になる神が宮中の『八神殿』に祀られている神々です。この八神はネットで調べて見ますと、宮中を守護する神と書かれていますが、伯家神道では、神との結び付きをする神々であり、そして結びつきのあと人としての営みを可能にする神々になります。

 八神を見てみると、産霊(むすび)=結びの神が五神いますね。キリスト教的に言えば、父と子と聖霊の三位一体を可能にする神々(エネルギー・働き)になります。そしてそれを行う神事のことを、天津祝詞の太祝詞事(あまつのりとのふとのりとごと)の御神事と言います。

 ダライラマ法王は灌頂の終わりに、「今日あなた達は仏になる原因を作った」と言いましたし、本の中でも「灌頂は仏性を目覚めさせ、全知を獲得することのできる潜在的な可能性を引き出すこと」と伝えています。そのように通過儀礼的なものはあくまでも原因であって、結果ではありません。ですので、ここからがスタートになりますし、霊性修行としては、そこからの道のりが長いことをしっかりと受け止めておく必要があるかと思います。

 天津祝詞の太祝詞事も、神道を勉強している方々には神道最大の神秘で、奇跡の言霊(マントラ)が存在すると思われていますが、一般的な方々が思うような奇跡はありません。

「奇跡などない。すべてを奇跡と呼ぶなら別だが。」(マハラジ)

 聖者アンマにダルシャンを受けマントラを授かっても、直ぐ悟れるわけではなく、そこから毎日の課題が与えられ、続けていくことによって悟りへと向かっていきます。天津祝詞の太祝詞事も同じで、その八神との縁を頂いたあと、その関係をしっかりと確かなものにするために、毎日の行が課せられます。ここで伯家神道は、またもや神がエネルギーであることを証明するような行が始まります。神息拝受(しんそくはいじゅ)と言いますが、平たく言えば、神を食べていきます。神というエネルギーを食べていくことによって、自分のものにしていき、神との結びを確固たるものにしていきます。

 そして天津祝詞の太祝詞事の御神事が終わったあと、「祝(はふり)の神事」という行法が始まります。ここで唱える祝詞の一つが『身曽岐祓(みそぎはらい)』で、この祝詞によって、浄化を進めていきます。これは一般的に唱えられている『禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)』とは違います。

 簡単に解説しますと、禊するときに現れる神がいます。まず八十禍雅津日神(やそまがつひのかみ)、大禍雅津日神(おおまがつひのかみ)ですが、八十は「たくさん」と言う意味ですので、たくさんの間違いと、大間違いを表に出す神が現れます。それと同じくして、神直日神・大直日神が現れますが、この神は神に直していく、大直しをしていく神です。

 次に書かれている上・中・底の神々ですが、これを潜在意識に置き換えると分かってきます。潜在意識の底と、中ほどと、表面に包まれているもの、積み重なっているもの、つまりカルマを浮き出す神々です。

 伯家神道で使うのはこの祝詞だけではありませんが、この「身曽岐祓」を唱えることによって、あらゆる領域、次元のカルマを浮き出させて、浄化を進めていきます。また「祝の神事」を行う人を審神者 (さにわ)と言いますが、あらゆる領域を浄化するのですから、審神者 自身があらゆる領域に達している必要があります。ダライラマ法王は灌頂において必要な要素を三つ挙げています。一つは道具など儀礼に関わる諸事物、次に伝授者(伯家の場合は審神者 )によって唱えられる真言(マントラ)、次に伝授者自身のサマーディです。基本的には同じですね。


 今度は高次元の存在や神話的な神々が存在するという、つまり多次元を真実とする解釈ですと、日本の神々というのは、地球創世に関わっていたと言われています。しかしこの表現はとても誤解を招きやすいです。実際には日本の神ではなく、一部が日本に伝わっているだけで、日本だけの神々ではありません。真我以外はすべて幻想であるという教えでは、神々は、究極的にはマインドの概念になります。それだからこそ、情報によりマインドが神々を制限してしまいます。日本だけの神とか、天照大御神は女神であるとかはすべて制限になります。

 しかしながら、一般的には真我や普遍意識、キリスト意識というものはマインドを越えたものですので、理解ができません。そこで制限された神が仲介者として存在したほうが、霊性修行が進みやすい場合があります。そのような場合、聖者マハルシは色々な神々を信奉するより、一つの神に絞ったほうが良いとアドバイスしています。

 また我々は、制限に関しては神だけでなく、グルにも抱きがちです。例を挙げますと、イエスキリストとしての個人と、宇宙に遍在するキリスト意識があります。サイババが現象化したイエスの写真を見ますと、イエスはとてもイケメンです。イケメンであるイエスに、つまり制限された個人にだけフォーカスを当ててしまいますと、自分と他人、もしくは幻想としての個人に囚われていることにもなり、イエスの教えであるキリスト意識への目覚め・真我実現が起こりにくくなってしまいます。


 イエスキリストや仏陀のように、聖者として祀られている日本の神もいますが、今現在の激しい浄化プロセスに関して言えば、伯家神道の教えから、神々の動き・働きが見えてくると思います。人情的に言えば、残念ながら八十禍雅津日神、大禍雅津日神が働くことは避けられません。真我・神はそれを起こそうとし、我々のマインドはそれを悪いものとして抑えようとします。伯家神道に伝わる教えを参考にして、少しでも神に対する制限を取り外していただけたらと思います。