電話でのご予約・お問い合わせは

TEL.096-368-9808

生まれ変わり(輪廻転生)

 生まれ変わりについて考える場合、真我の立場に立つか(※便宜上このように表現していますが、実際には真我とは、主体と客体がありませんので、真我から見るということはありえません)、個我の立場、つまり肉体と精神を自分と思っている立場に立つかで違いが出てきます。真我の立場に立った場合、この世の中は幻想であるというのが真理になりますので、肉体と精神も幻想でありますから、生まれ変わりも勿論幻想になります。つまり、輪廻転生は存在しないというのが真理になります。

 質問者「輪廻転生は存在するのでしょうか?」
マハルシ「無知が存在するかぎり輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。今も、今までも、そしてこれからも。これが真理である」

 和尚「過去生を記憶する子供たちがいる。だが私は断言しよう。過去生は存在しない。」

 観音様の生まれ変わりとして知られているダライラマ法王ですら「輪廻転生とはイリュージョン(幻想)である」と言っています。

 真我の立場に立った場合、生まれ変わりが真実として存在しないと言うことはあまりにも明らかですので、このように、一刀両断することができます。ですので、真我実現を目指す方でこのことがいまいち理解できない場合は、神=真我を本当の意味で理解していないことになりますので、謙虚に学びを進めていただきたいと思います。


 ただし、上記のマハルシの言葉に「無知が存在するかぎりは存在する」と言うことですので、今度は無知・・・と言うよりは、一般的に自分と思っている立場=『肉体と精神』を自分と思い込んでいる立場から見てみましょう。

 マハルシはまた次のように語っています。「はっきり理解されなければならないのは、生まれ変わるのは魂ではなく、あたかも転生するかのように見える個人の思考にすぎない。心がいかなる次元で活動しようとも、それはそれ自身のために身体を作り出す。物理的世界には物理的身体を。夢見の世界では夢の身体を」

 和尚も上記の言葉のあとにこう続けます。「・・・過去生は存在しない。記憶が子宮に入るのだ

 ニサルガダッタ・マハラジも次のように語ります。「転生とは自己の生まれ変わりを意味する。しかしそのようなものはないのだ。「私」と呼ばれるひと塊の記憶と期待が、それ自体を永遠に存在すると創造し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間を作り出すのだ。」

 ですので、過去生と思われているものの本当の姿は、記憶・思考ということになります。


 また、東洋の一つの考え方には、魂魄(こん ぱく)があります。魂魄とは辞書によれば『「魂」は、人の精神をつかさどる気。「魄」は、人の肉体をつかさどる気。死者のたましい。霊魂。』とあります。

 魂は肉体を脱ぎ捨てたあとも真我実現に向けての学びが続いていきますし、地球に来る前には他の惑星で様々な学びをしていたり、地球で他の生物から進化してきた魂がいたりと、様々な魂としての学びがあります。余談ですが、アセンションに向けて、人間だけでなく、犬や猫などが分かりやすいと思いますが、言葉に応えたり、嫉妬したり、仮病を使ったりと10年前に比べて圧倒的に人間の感情を学び成長していることに気づくと思います。

 魂魄(こんぱく)という考え方から見ると、通常生まれ変わっていると思っているのは「魄」で、肉体に関する記憶のエネルギーになります。ただし、魂としての記憶もありますので、とても複雑になってきます。


 それではここで、魂の進化についてみてみたいと思います。真我を土台として起こる無限の創造のプロセスの中では、個我と言われているものは、ある波動領域では我々が自分と他人というような区別を持っているように個別化しているわけではありません。スピリチュアルの世界では、ツインソウルとかグループソウルという言葉があるように、ある魂が二つに分かれて肉体を持ったり、グループソウルと言われている魂レベルでの仲間たちが存在して、様々な役割で肉体を持ったりと複雑になります。ですので、過去生と現世が同じグループソウルだったりするので、我々の頭で理解するにはとても難しい問題になってきます。

 グループソウルと個別化した魂をコンピューターにたとえると、クラウドコンピューティングにつながっているそれぞれのパソコンか独立してるようにみえても、大本で全てのデータが管理されているようなものです。ですので、グループソウルが様々な惑星へ魂を送り込んで情報収集したり、地球に何人か送り込んで情報収集したりしています。日本では「変わり御霊が7人いる」と言われているように、自分と同じ役割の魂が他に7人いるなどと表現する場合もあります。


 そして肉体を脱ぎ捨てたあとの魂の行方ですが、亡くなったあとは眠りから覚めるようにまた意識が続いていくと言われています。肉体を捨てると、今度は時間と空間がない世界になりますので、自分の思いが直ぐ現実化していきます。例えば、地獄という場所は普遍的な空間として存在しないのですが、自殺した人が、自分は自殺したから地獄へ行ってしまうと思っている場合、自分で自分の思い描く地獄を作り出してそこで生活するという現実を作り出してしまいます。同じ自殺でも、かつての武士のように、家族や国のために誇り高く切腹してして亡くなっている人たちは、地獄に行くという概念がない場合が多いでしょうから、地獄を作り出すことはありません。また逆に、グルメや性欲に強い欲望がある場合などは、世界中のグルメを食べ歩いたり、ハーレムの中で生活するという現実を作り出す場合があります。この場合は実際には欲望の世界にどっぷりはまっているだけなのですが、あまりの楽しさに天国と勘違いしていますので、そこから救われたいとは思いません。ですので、まさに浦島太郎のように気づいたら長い間そこにいて、魂の成長が進まない場合があります。

 また、神という存在と肉体との関係を次元で表現する場合がありますが、ある教えでは7次元と言ったり、ある教えでは10次元、12次元、100次元と言ったりするように、まさに想像は創造であるように、10次元と信じている場合は10次元として存在し、100次元と分類する場合は、100次元が生み出されるというように、その教えは信じるところが真実となっていきます。

 しかし、こういうことは何度も言うようですが、本来は幻想です。つまり夢としての真実に過ぎず、普遍的な真実ではありません。究極的には輪廻転生は真実ではありませんので、真実でないところに正しい正解はありません。ですので、上記に書いたようなことも、正しいかどうかということは大して重要ではありません。要するに頭でどのように納得するかの問題ですので、何となく理解してしまえばよいと思います。

 
『このような理論はみな個人としての自己あるいは魂が実在だという偽りの過程を土台にしている』(マハルシ)



 そして我々はこの幻想の中で、そこから抜け出すという学び=愛の学びをしています。幻想とは言っても、その中で記憶のエネルギーはカルマ・運命・創造のプログラミングなど、表現の仕方は色々ありますが、これらのことがあまりにも重荷になって、愛の学び=マトリックスという夢から覚めるのことを妨げていきます。

 しかし、ここで主に何をお伝えしたいかと言えば、来世と呼ばれる肉体は将来の地球に存在するかもしれませんが、それは今と全く同じ魂が生まれ変わっているのではありません。ですので今現在自分と思っている魂としては、肉体を持っての地球での学びは、一度きりくらいに思っていたほうが良いでしょう。しかし今回は、それは貴重な一度です。地球始まって以来のアセンションと言う一大イベントに参加できる魂は、魂の進化の流れとしてはとてつもなく貴重な体験になりますので、このビックチャンスをものにしていただきたいと思います。


 また、真我実現を目指す方には、真我のみが真実であることを理解し、マインド=心が生み出す無限の創造に巻き込まれないように、創造の源である真我という愛の泉を探求していただけたらと思います。