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喪中の神社参拝

 神社本庁のホームページには、
『不幸があった場合、個人を悼み葬祭に専念するために、今日一般には、五十日祭(仏式では四十九日)が終わるまでは、神社の参拝を遠慮します。ただし、その期間は地方によって異なる場合もあります。』
と書かれています。また地域によっては、家の神棚の前に半紙を貼り毎日のお祭りを遠慮しなくてはならないとか、やむを得ず参拝する時には鳥居を通らないで脇から入るとか言われているようです。実際に私が神社で神主をしていた時も、バスのツアーなどで団体参拝にお越しになる方々の中には、喪中だからと言って鳥居の前で立っている方もいらっしゃいました。

 なぜ参拝してしてはいけないかと言ったら、神道は死を穢れ(けがれ)として扱う為、喪中の間は穢れがあり、それを神社へ持ち運んではならないという理由が一つあります。

 本来神葬祭(お葬式)は、亡くなった方の御霊を神の御国へと誘い、残していった肉体を祓い清めます。また、現在では火葬しますので、肉体に残る穢れは無いも同然です。(但し、日本や中国では魂魄という考え方があります。)ですから、喪中では悲しみの為に神社で家族や地域の平和を平常心でお祈りできないと言うのならば分かりますが、神葬祭(お葬式)のあとでは、何の穢れが残っているのか疑問が残ります。もし、死者の穢れと言うのであれば、神葬祭(お葬式)が何の役にも立っていないことになります。
 ですから、もし神葬祭をしておきながら、喪が明けるまで神社に参拝しないで下さいと言うのであれば、病院が患者に対して全く治療をしないで、『病気が治ったらまた来て下さい。』と言っているようなものですし、本来神社は厄祓いや車のお祓いなど、穢れを祓うのが大事なお仕事のはずです。

 たしかにお亡くなりになった方の御霊にも自由意志がありますから、この世に未練があり成仏したくないという場合もあるかもしれませんし、神葬祭(お葬式)では神上がり(成仏)できない場合もあるかもしれません。
 そうであるからこそ、私の考えはむしろ世間一般とは逆ですね。悲しみに明け暮れているのなら、神の懐に抱かれて悲しみを癒して欲しいですし、もし成仏していないと思ったのなら、『迷える御魂を神の御国に導き給え』と神に助けを求め、迷える御霊を救って頂きたいと思います。しかも最も神様を感じることができる場所で。
 実は神主も、祝詞で神様にお願いしているのです。神主は神とのお取り次ぎですから、神主が祓うのではなく、神主が神様にお願いをして祓って頂くのです。ですから修行をしていないとか、神様に失礼ではないのかとか、私にはできないと思うのではなく、心を込めてお祈りしてみて下さい。

 我々は何故か、神様は穢れを忌み嫌うとか、罰するという概念、風習の中で過ごしてきました。本当は神様は厳しく罰を与えるのではなく、愛に満ち優しく我々を守り導いてくれているのです。 その点、私が勤めていた神社では、喪中という理由で鳥居の前で待っている人たちに、『この神社では喪中は関係ありませんよ。亡くなった方を神様に向き合わせて下さい。故人もお喜びになりますよ。』と言って、参拝を勧めていました。

 神様のことは目に見えないことですので、多くの人たちが敬虔な、もしくは純粋な気持ちから、神様との関わりをむしろ遠ざけるような風習に縛られています。しかも、最も必要な時に。

 このようなことは、信頼する人にお聞きすることも勿論大切ですが、これからは我々が神として生きる時代です。『私が愛に満ちた神であるならば、どうするだろうか?』と自問することによって、答えを見つけて行く練習をして頂きたいと思います。