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シャーマニズム

 シャーマニズムは主に、ネイティブアメリカンやアボリジニ、アフリカなどの先住民族の教えもしくは世界観として考えられています。それらはシャーマニズム・アニミズム(精霊崇拝)・原始宗教など呼び方は様々あり、異なった解釈をする方もいらっしゃると思いますが、ここでは全てをシャーマニズムとして扱います。
 先住民族の中にはシャーマンと呼ばれる者がいて、神や精霊、先祖の霊と通じて必要なメッセージを頂いたり、病気を治したりして、その社会を守っていきます。ですから一つの解釈として、シャーマンとは目に見える世界と見えない世界、現実世界と多次元の世界との掛け橋をする者、森羅万象に宿る精霊(スピリット)と通じることができる者と言うことができるかもしれません。

 大天使ミカエルのチャネラーであるロナ・ハーマンは『聖なる探求〈上巻〉』の中で、次のように語っています。
『レムリア大陸が水中に没する直前に、ガーディアン(守護者)であった人びとは何が起ころうとしているかに関してのヴィジョンを見せられ、なすべきことについての指示を受けました。複数のグループが形成され、ブリティッシュコロンビア、バハ=カリフォルニア、メキシコと呼ばれている地域への移動が始まりました。一つはシャスタ山の下にテロスという偉大な都市を築きました。他のグループは様々な山脈へと導かれ、偉大な洞窟の中に、あるいは地上に寺院や神殿を築きました。
 また大きなグループが、ネバダ州の山の内部にある洞窟へと導かれました。彼らにはDNAを通して過去と未来の全てのルートレースとサブレースがコードとして徐々に埋め込まれていったのです。やがてこのグループもいくつもの小さなグループに分かれる時が来ました。彼らのリーダーやガーディアンたち(後には叡智ある者、あるいは、シャーマンという名で呼ばれることになります)は地上のあらゆる国々を結んでいた偉大なるトンネル組織の内部へと導いていきました。
 やがてそれぞれのグループが世界中の孤立した場所で地表に出て、「部族的な存在」を開始し、それぞれ独自の慣習や属性や才能を発達させていきました。』(一部抜粋)

 この言葉を信じるならば、シャーマニズムのルーツの一つはレムリアにあると言えるでしょう。

 それでは日本はどうだったのでしょうか。人によってはピンと来ないかもしれませんが、日本に伝わる『神道』も実はシャーマニズムです。私は以前アイヌ人はレムリア系だと教わりましたが、真偽の程は別にしても、アイヌの教えはシャーマニズムであると理解することは容易だと思います。そこでアイヌの神事で使う『イナウ』と神道で使う『御幣』を見ると、その共通のルーツを垣間見ることができます。

 ただ神道が他のシャーマニズムと異なる趣を見せるのは何故かと言ったら、一つには天皇制が含まれているからだと思います。ですが、自然の全てを神と崇めることは勿論のこと、日常の中でも切り火や打ち水、手刀などはシャーマニズムそのものです。

 しかし我々は、何時の頃からは分かりませんが、偉大なる叡智は形だけになってしまいました。先住民族が住んでいる場所は精霊との交流がある為、自然の神々または精霊たちはまだ力を持っていますが、そうでない所はその関係を断ち切ってしまった為に、眠りについたままの自然がまだ数多く残っています。勿論日本もその例外ではありません。

 また別の考え方として、人は動物界・植物界・鉱物界の守り主(ガーディアン)であるという事、また人は神であり、自然はディーバ(天使)という考え方があります。天使は神の命令なくしては動くことができません。つまり人間が関係を持とうとしなければ眠ったままであります。
 まだ天皇が大王(おおきみ)と呼ばれていた頃、訪れた山や丘から国見をしていました。一部の解釈として、国見とはその地が大王の支配地だと認識する公的行事であるとされていますが、最高神主(シャーマン)である天皇がする行為にしては、とてもスケールの小さいことのように思います。私はそうではなくて、国見をすることによってその地に住む全ての生命の為に、自然の神々に真の繁栄と豊かさを祈っていた、自然の神々や土地神を動かしていたと見ています。

 それでは我々はどうしたら良いのか?そうであるならば我々には何ができるのか?という思いが湧きあがってくる方もいらっしゃると思いますが、例えばお花に話し掛けると、そのお花が長持ちすることは多くの人たちが知っています。お水に『ありがとう』と声をかけたり、感謝を捧げたりすると結晶が美しくなり、味が変わることも知っています。パワーストンなども可愛がると、綺麗に輝くことも知っています。
 一輪の花に我々の思いが通じるのであれば、巨樹や山にも通じます。一杯の水に通じるならば川や湖にも、ひとかけらの石に通じるのなら巨石にも通じます。これを阻害しているのは我々の中にある制限だけです。『私にはできない』と、『今の私には無理』といった制限ですね。
 そういった意味では、イエスキリストの『あなたたちは山をも動かすことができる』という言葉は、嘘偽りのない言葉であります。阿蘇山を動かして富士山の横に移動するという意味ではなく、未だ眠りについたままの山の神(精霊)を動かすことができるのです。(その代わり結果は期待しないで全てを神に委ねましょう。以前にもここで書いたように、鍵となる人や時期というのもありますし、結果を期待することは欲になります。)

 我々は今まで地球を傷つけてきたので、環境問題に取り組むことはとても大切なことです。ただ、自然の神々・精霊たちが目覚めて蘇れば、自然破壊は急速に進んでいるとは言え、その浄化力は我々の想像をはるかに絶するものとなるでしょう。 自分が住んでいる場所の自然に声を掛けてみて下さい。山や川、海、草木、巨石、雨や風に、そして自分が住んでいる土地神に。まずは声を掛けることです。命ある存在と思って。これがシャーマニズムの基本であると私は思います。


 それでは最後に一つ練習をしてみましょう。ある高波動のお水を別のお水に移すと、そのエネルギーが広がります。例えばコップ一杯の高波動のお水をお風呂に入れれば、お風呂の水全体が高波動になります。つまりAのお水をBに入れたら、Bのお水はAのエネルギーで満たされます。
 これは素晴らしいことのように思いますが、実は勿体無いとも言えます。何故ならBのお水の潜在能力を無視しているからです。例え水道のお水でも、何処かの山や聖地のエネルギーを含んでいるでしょう。(地域によっては塩素が強すぎる等の要因があるかもしれませんが、ここでは考慮に入れません。)全てを良い悪いではなく、高い低いではなく、それぞれの働きとして平等に見ていく練習もして行きましょう。そこで、お風呂だけではなく飲み水等、複数の水を混ぜた時にお水を神・精霊・命ある存在と思って次のように唱えます。

『これらの水に含まれている全ての光よ、美しく輝き調和し給え。この水に関わる全ての人たちにとって最高にして最善のことがなされますように、優雅に易々と変容できますように。』

 するとお水は動き始めます。私もHPで紹介させて頂いていますが、高波動だけど高価であるお水が多々あります。このような場合は、お求め安いミネラルウォーターと混ぜるなどして、自分なりに工夫してみてください。