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神道の教え

  日本の神道というのは一体何なのでしょうか?また神道と古神道の違いは何なのでしょうか?

 まず古神道の『古』とは「古い」という意味ではなく、「本来の」という意味です。神道が形骸化したため、本来の姿に戻そうという動きがありました。そこで、古神道が登場して来たのです。ですから、呼び方が問題ではなく、行われている姿が重要なのです。

 それでは神道の教えとは何なのでしょうか?神道には、聖書やコーラン、お経のような教典がありません。ここで一つ大切な事は、日本は宗教を必要としなかったということです。日本人は自分が無宗教だと思っていても,初詣に行き、安産祈願や七五三に行き、車を買えばお祓いをし、悪い事が続くといえばお祓いをし、またお祭りが大好きだし、はたまた困った時にはしっかりと神頼みをすると言うように、宗教や教義がなくても神と密接に繋がっているのです。ですから宗教戦争と聞くと「何のための宗教なのか?人を救うための神ではないのか」と首を傾げてしまうのです。しかし彼らを責めないでください。我々も彼らと同じ環境に育っていたら、どうなっているか分からないのですから。

 実は神道にもしっかりとした教典があるのです。それは自然です。そこには嘘、偽りはなく、ただ真実が存在しているのです。神道は『自然をもって教典とする生命(いのち)の信仰』なのです。この地球の全ての営みが、宇宙の営みが教典なのです。

 良くスピリチュアルリーダーや覚者は、この世は幻想だと説きます。この世はまやかしであって真実の世界ではないと言います。実はそれは真実です。しかしこの世は幻想だと説いた瞬間に、人は「何訳が分からない事言ってんだ」と言いたくなります。この地上での事が全て幻想と信じる事がどうして出来るだろうかと。「おまえのその肉体は幻想だ」と言われれば、「大丈夫かな?この人」と思って、相手にしないどころか、「かわいそうね」と逆に同情してしまう人の方が多いと思います。

 ですから神道はそうは説きませんでした。全てが大切な生命なんだと説きました。私がかつて勤めていた花屋では、「菊やアザミは鉄を嫌うから、はさみで切らないで手で折らないと水を吸わなくなる」と教わりました。また宮大工は、柱は木が植わっていた方角に合わせないと、時が経つにつれて木が暴れると言います。菊が鉄を嫌うとか、木が暴れると言った表現は、生命として認めている表現です。また誰でも菊やアザミが生命なのは理解できます。しかし、神道では柱になった木も生命だと説くのです。人が住まなくなった家は、傷みが早いと言います。全ての生命は響きあっているのです。

 スピリチュアルな事を学んでいる人の中には、三次元は次元が低いところでアセンション(次元上昇)のためには、ここをすばやく通り抜けなくてはならない、と思っている人たちがいます。それにしては、この地球は美しすぎます。まだ美しいところが無限にあります。私達はそんな地球で自由に創造し、しかもそれを楽しむために、そして成長するために来たのです。本当は苦しむためではありません。我々は希望に満ちて、この地球に自らの意志で来たのです。

 この地球に生まれてきた良かったと、心から思えるように生きてください。今回のアセンションの旅は、この美しい地球(ガイア)ととも行くのです。

 確かにつらい状況にある人には、難しい事かもしれません。しかし今の世の中には、それを救うためにたくさんのヒーラーやマスターがこの地球にやって来ているのです。我々を癒し、導くために。ですからつらい状況にある人は、神様や守護天使、ハイアーセルフ(高次元の自分)に真剣にお願いしてください。

「神よ、天使たちよ、ハイアーセルフよ、私を癒し、導く為に、最もふさわしい人(本)に出逢わせてください。そしてその人だと私がはっきり分かるように、合図をください」
と。高次元の存在は、人間の自由意志を完全に認めているが故に、要求がなければ基本的に手を出す事が出来ません。そして我々が思っている以上にサービス満点です。

 そしてこの地球を大好きになってください。この地球にある全ての生命も。


 何故モーツァルトの音楽が美しいか知っていますか?何故、彼の音楽が人を癒し、食べ物を美味しくするのか?
「生きるということは、なんて美しいことなのでしょうか」(モーツァルト)

 彼の音楽の根底には、この思いがあるからです。