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ダライラマをはじめ、多くのスピリチュアルリーダーはこの世は幻想だと説きます。しかし、ある人がマハルシという覚者に「あなたはこの世界を幻想だと言うけれど、今私の目の前にあるこの椅子が幻想だとは思えない」と言います。多くの人達は、彼の様に思っていると思います。また幻想とは無のことだと思っている人もいますが、幻想は無ではありません。
そこでホログラム理論というものは的を得ているように思います。分かりやすく説明すれば、ネガに光が当たると、像が現れるという考えです。誰も映画に映し出される登場人物が本物だとは思っていません。つまり幻想だという事です。ですから光の当て方で見え方が違ってくると言うわけです。
最近芸能人の中に、「私妖精が見えるの」という人がいますが、そういう人達は普通とは違った見方をしているわけです。余談ですが、この人達は一世代前なら、かなり行を積まなければ到達できないレベルに達している素晴らしい能力の持ち主です。しかも馬鹿にされることをものともしない、勇気ある人たちです。
話を戻しますが、マトリックスという映画がヒットした為、我々は色々なことが説明しやすくなりました。下の画像は、主人公のネオが自分の力に目覚めた時、突然物質が光の世界に見えるシーンです。
実はこの場面の方が真実に近いです。但し映画ですから、物質の形を崩さないで表現していますが、実際は違います。物質の形を光は表現しませんし、空間も光に満ち満ちています。自分の形すら分からない世界です。つまり、『私』と思っているものと、『私でないもの』との区別が一切無くなります。そして、存在しているものは光・愛・神と言われているものだけになります。ですからこの世界から言うと、闇や悪魔は存在しません。また私達が普段耳にする音も無くなります。
また天照大神はこの世が幻想だという事をどのように表現したかと言うと、一切成就の中で『諸々の法(のり)は影と像(かたち)との如し』と我々に伝えたのです。つまり私達が見ている世界は、影と像に過ぎないと。
ダライラマはこのレベルにも三段階あると言っています。チベット密教にはこの世界に導く教えと灌頂(イニシエーション)があります。詳しくはダライ・ラマ
ゾクチェン入門をご覧下さい。
しかし私達は、陰と陽・光と闇・男と女・愛と憎しみのような二元性の中に生きています。その中で愛に目覚め、育み、全ての生命を愛していかなくてはなりません。
『人を傷つけることは自分を傷つけることだ』ということを良く耳にします。私はそのことを理解してもらうのに、『人を殴ったら自分のコブシも痛い』という喩えを使うことがありますが、真実は自分そのものを傷つけているという事です。それを全く気づかせないような今の仕組みを誰が創ったのかは知りませんが、すごいの一言です。
この世界をほんの少しだけ理解しているつもりですけど、それでもやっぱり蕎麦好きの私にとっては、お蕎麦は光で食べるよりも、だしの香りがしっかりする麺汁にわさびを効かせて、ずるずるっと食べたいです。但し少しだけでも理解しているが故に、蕎麦もおつゆも、お箸ですら神の光でできているというあり難さを感じることができます。
また、追い越し禁止車線で制限速度以下で走る車の後ろに付いた時は、少しイライラするときがありますが、そんな時も「あの前の人は、このまま私がスピードを出したら事故に遭うから、それを守ってくれる為に神が使わした使者に違いない。ありがとう」と半ば強引に思う事によって、心の平安を取り戻します。
この世は幻想だと言われていることはどういう事なのかを、自分なりに分かりやすく説明したつもりです。結論を言えば、全てが神様の現れだから、大切にしましょうという事です。魏志倭人伝には、日本人は人に会うと手を打って拝むと記されています。日本では神様をお迎えする作法が拍手です。全ての人間が神様だって知っていたんでしょうね。もしかするとその当時は既に形骸化していたのかも知れませんが、その本質は全ては神様だという認識があったところから生まれたはずです。
少しでもご理解の助けになれば幸いです。