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イエスキリストは『汝の敵を愛せ』と教えました。最近のスピリチュアルな世界での表現では、『許す』と言うところでしょうか。しかし、この許すという作業はスピリチュアルなことを学んでいる人たちにとっても、容易なことではありません。また、「どうやって許して良いのか分かりません」と言われることがあります。
この『許せない』という思いが、行為に焦点が合わされているときには、許すということはとても難しいでしょう。『汝の敵を愛せ』という言葉は、『汝の敵の行為を愛せ』という意味ではありません。時代劇の名セリフ『罪を憎んで、人を憎まず』、このスタンスがある意味必要だと思います。犯罪者や憎まれ役の人たちが、どのような環境で育ち、どのような役目で地球にやって来たかを知ったら、おそらく涙なしでは語れないでしょう。愛を与えられずに育った人たちがどれほど歪んでしまうのかを、私たちに見せてくれているような気がします。
『魂の愛』という本には、行為を許すのではなく、その人の魂にも愛の光が宿っていることを認めてあげることを教えています。この言葉を許すことができないで困っている人たちに伝えると、人によってはとても納得する場合があります。
また、人の言葉、思いはとても強いエネルギーを生み出します。例えば、仕事ができない人に対して、皆が『あいつはダメだ』とか、『あいつはどこに行っても使えない』と言ったり思い続けたりすれば、その人はずっとそうなるでしょう。実際には、全ての原因は自分であり、許すという行為を知るためには、許せない人が必要となってくるのですが、人の所為にし続けている間は何も解決しません。同じ役割を演じる、違う人がまたひき付けられるだけです。
そこで、『あの人も愛の光を知ったならば、あの人も自分の中に美しい神の光が宿っていることを知ったならば、あの人も愛されるに値する人だと知ったならば、必ず素晴らしい人になるだろう』と信じてあげること、その人に対して、せめて自分だけは希望の光を燈してあげたいという思いが必要だと思います。暗闇がなければ光は存在しません。悪がなければ善は存在しません。そして、釈迦の説法を聞いて一瞬で悪神から光に変わった阿修羅のように、人は突然変わる可能性があります。
自分も含めて、人の心にたくさんの希望の光が燈されれば、そこに待っているのは奇跡だけです。真っ暗闇の中では、たとえどんなに小さなろうそくの炎ですら、我々の助けとなり、導くことができるのですから。