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出雲は九州と同じく、今でも神話の息づく所であります。伯家神道に伝わる教えの核となるものは十種神宝御法ですが、この十種神宝は出雲から伝わったと言われています。
古事記に、大国主(おおくにぬし)が須勢理毘売(すせりひめ)の父である須佐之男命(すさのおのみこと)に会う為、根の国に(幽なる世界)へ行く場面があります。そこで須佐之男に蛇のいる部屋とムカデと蜂のいる部屋に閉じ込められますが、須勢理毘売から授かった領巾(ひれ)を使いその難を逃れます。そして次には、野原に射た矢を取って来いと命じられ野原に火を放たれますが、鼠の助言によって死を免れ、またその鼠が矢をくわえて大国主に渡すため、須佐之男の課した試練を乗り越えることができました。
この場面をそのまま受け取ると、須佐之男の非情さだけが伝わってきますがそれは全く違います。この場面こそ、将に須佐之男が大国主に十種神宝御法を伝授している場面であります。十種神宝には蛇比禮(おろちのひれ)と蜂比禮(はちのひれ)がありますが、大国主はこの段階の行を受けていたのです。そして最後のレベルは品物乃比禮(くさぐさもののひれ)ですが、この真意は森羅万象あらゆる生命がひれ伏す、つまり味方になることを意味します。
そしてこの後、須佐之男は大国主の名を与えるのです。それまでは、大穴牟遅(おおなむち)でした。この名を与えるという伝統も、今でも残っています。ですから十種神宝御法の行の場に身を置いたものには、この場面から大国主は神人合一を果たした人、悟りを得た人と受け取れるのです。
そして大国主は平和な国を築いていったのです。
しかし、国譲りの場面がやってきます。天孫がやってくる為に出雲の状況は一変するのです。詳細は省きますが、実はこのときに起こった出来事が出雲の風土に多大な影響を与えました。私達人間が経験する事は、その土地も経験するのです。身土不二(しんどふじ)という言葉があります。体と土地は二つではない、という意味です。これは体に適した食べ物を説明する時に使われる言葉ですが、それ以上の意味を含んでいます。
出雲大社を訪れた時、神話の世界が目の前に再び現れるような感覚があります。しかし中に入ってみると、そこには大国主の哀しみがあるのです。正確に言えば、哀しみがあったのです。なぜなら今やその哀しみは、光へと昇華したと言われています。それは約一年前のことですが、それ以前の出雲大社と今ではエネルギーが明らかに違います。多くの人たちは神様は常に変わらないと思っていますが、神様はその時代に合わせて変化していきます。伊勢神宮も変化しています。以前は誰でも優しく受け止めてくれるような繊細な波動でした。しかし今は、この日本を立て直そうとする力強さを感じます。そうなると『天にあるがごとく、地にも』という言葉のとおり、我々にもその変化は訪れます。そしてこの変化を肉体を持ってこの地上で体験できるのは、この上もなく素晴らしい体験なのです。
もし出雲に行ったなら、ぜひその変化を感じてください。本来の日本人は頭で考えるのではなく、意識を腹において全身で感じたのです。そのように感じていただきたいと思います。出雲の美しい光はこれからの日本に、地球にとても必要ですから。