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 セッションでは、恋愛、結婚、離婚、不倫などの相談が時々あります。その中でも今回ここで取り上げるのは不倫や浮気についてですが、このような相談が起こる一つの理由として、一夫一婦制という制度があり、そこに善悪の価値観を持ち込んで人や自分を判断していることが分かります。世界を見渡せば、イスラムのように4人まで妻を持てる、もしくはアフリカなどにみられるように経済力があれば何人でも妻を持てる一夫多妻制、その逆でチベットなどにあるようですが一妻多夫制もあります。何年か前にテレビで見たのですが、ある国の部族では、好きな時に誰とでも交わって良いというところもあります。そのため、生まれてくる子供が誰の子供か分かりません。そこでその部族は、生まれてくる全ての子供を部族の宝として尊重するという画期的なシステムで動いています。不倫という問題だけでなく、最近問題になっている、遺伝上の父は誰かという問題も、このシステムの中では一切起こりませんね。

 日本においても、現代でこそ民法では不貞行為が離婚事由になっていますが、明治時代までは「新律綱領」で妻と妾は同等に扱われています。というように、時代によって価値観が全く変わっています。つまり普遍的真実ではなく、時代や国によって様々で、そこに我々は善悪を持ち込んで判断している、もしくは罪悪感を感じていることが分かります。

 余談ですが、現代は男女もしくは親子など普通にキスをしますね。若い世代の中には、キスに抵抗ある人も増えてきているようですが、実は日本ではキスの歴史も非常に浅いです。鎖国時代、商品を運ぶ廻船が様々な国に漂流しました。その中で奇跡的に日本に帰って来れた人たちは奉行所で詳細な質問を受け、その吟味書が数多く残されています。その中で英語圏に行ったどの吟味書の中にも必ずキスのことが書かれていて、「互いに口をなめ合うこと也」というように表現されています。そして必ずと言っていいほど「甚だ汚らわしき風俗也」とされています。
 高橋是清という後に大蔵大臣になった人が、明治4年にアメリカへ船で行ったときに、外国の7歳の女の子と船で仲良くなりました。サンフランシスコに船が着きその女の子と別れるときに、ほっぺにキスをされました。高橋是清は慌ててしまい、直ぐに洗面台に行って顔を洗ったと日記に書かれています。(『ひとり旅』吉村昭著より)


 話を戻しますが、子供が三人いたら、三人とも愛せるように、異性を三人愛せないわけではありません。三人いたら、三人に対する愛し方があるだけです。ある男性芸能人が、複数の女性と交際しているのをオープンにしたら、そのような関係を求めている女性が多くいて驚いた、というようなことを言っていましたが、お互いが求めている関係が成り立てば、上記の部族の例のように、その中で幸せを感じることは不可能ではありません。

 そこで、自分にはどのような生き方が良いか、幸せを感じるかを選べばよいわけです。一人のパートナーと深く結ばれることによって幸せを感じる人たちと、多数のパートナーを持った方が幸せを感じる人たちがいます。先日もイギリスで同性婚が合法化されましたが、そのようにあらゆる生き方や価値観を認めてあげることが必要になってくると思います。

 ただし注意しなくてはならないことは、日本では一夫一婦制が正しいという価値観が広まってしまったので、そこから外れることによって、傷つく人たちがいるということは考慮に入れなければなりません。パートナーや子供たちは勿論のこと、世間体や会社、親族などに様々な思いを持たれるでしょうから、自分の行為の結果は受け入れる必要が出てきます。出来事自体に本来善悪はないのですが、その出来事に対する人間の感情・思い・行為は色々な形で生み出されていくことになります。
 また個人としての結果だけでなく、社会的な問題も生じてきます。たとえばシングルマザーの低所得の問題があります。その為に児童扶養手当や生活保護が増えてしまい、税制を圧迫することがあります。(既に問題になっている国もあります。)自由を求めたら自立も必要になってくるとは思いますが、こればかりは様々なケースがあるため複雑な問題になります。

 
 性の問題にも触れておきます。セックスを神聖なものと感じる人、スポーツのように楽しむ人、逆に面倒くさくて楽しくないと感じる人、このような記事を見るだけで嫌気がさす人など、いろんな人たちがいますが、それもどれが正常とか異常とかはありません。それぞれのカルマに応じて動いていきます。占いなどで、「色欲の業がある」などと出てくる場合がありますが、医学や心理学を学んでいると、むしろ冷静に分析できる場合があります。テストロテン値の高い人は、その影響により性欲が強くなるといわれていますので、「このタイプの人たちはしょうがないね」のように割り切れる場合があります。

 しかし、カルマを昇華することを真剣に学ぼうとしている人は、エネルギーの関係から注意が必要になります。セックスはダイレクトなエネルギー交流になりますので、不特定多数な人たちと関係を持つと、さまざまなエネルギーを取り入れることにより、エネルギー的なバランスが崩れる可能性が出てきます。あげまん、さげまんという言葉があるように、場合によっては1人との関係でもかなりの影響を受けてしまいます。

 OSHOは第一チャクラだけのつながりは害以外の何ものでもないと言っています。つまり、欲望だけのつながりです。お酒を飲んだ勢いでムラムラして・・・のような関係ですと、欲望だけのエネルギー交流になります。ただし、たとえばホストのような仕事をされている方は、そのような関係をたくさん築いた方がビジネスとしては上手くいきますので、これもすべての人にとって悪いという意味ではありません。

 逆にハートチャクラ以上のつながりは、お互いの成長のためには良いエネルギーの交流になります。理想はすべてのチャクラで繋がることですが、そのためにはお互いが霊性修行の末かなりクリアになっている必要があります。そこでセックスで悟りを得るというような教えもあるのですが、それを口実に欲望の世界にはまってしまう場合がありますので、個人的にはあまりお勧めしませんが、プロセスとしては必要な方もいらっしゃると思います。しかし、何人もの聖者が、サットサン(聖者との交わり)と沈黙の教え以上のものはないと伝えていますので、真我を目指す方は上記のことを理解して、自分に必要な学びを進めていただけたらと思います。


 ここで何度も取り上げるように、全ては真我から起こる無限の創造で、我々が自由意志と思っているものも、実際には我々が考えているような自由にはなっていません。現象界においては原因と結果の法則=カルマによって動かされています。

 「人は意識的なマインドだけで、できているのではない。意識の9倍に及ぶ無意識なマインドの層もある。それだけではなく、人には身体がある。このマインドは、そこに存在している。その働きはほとんど不随意(思い通りにならないこと)的だ。随意的なのは身体の表面だけで、内なる源泉は不随意だ。あなたはそれに対して何もできない。あなたの意志は影響を及ぼすことができない。」(OSHO)

 「人間は現状のままでは機械のようなものだ」(グルジェフ)

 ですから、人を自分の信じている価値観で判断するのではなく、カルマ=プログラミングによって動かされてしまうことをまず受け止めましょう。イエスが言うように、「人を裁いてはならない」です。霊性修行とはそのカルマから抜け出すことですが、ほとんどの人たちはそこから抜け出すという学びをしているわけではありませんからね。それを認めてあげることが愛になります。また、そのように判断してしまうのもカルマ=プログラミングになります。日常の学びやサットサン、瞑想、ヒーリングなどで、このプログラミングを修正していくのですが、パソコンにたとえますと、Windows XPで動いていたソフトはWindows8になれば、存在しても機能しないように、霊性修行によってカルマが働かない、もしくは影響の少ないマインドにアップグレードすれば良いのです。

 時代、国、家庭、個人それぞれの価値観があります。これからは様々な価値観を受け入れ認めていく必要があります。理想は同じ価値観の人で結ばれることと考えてしまうかもしれませんが、人間として生まれた以上、許すという学びが付いて回るため、全て理想通りにはいかないと思います。つまり、多くの人たちには許せないことがやってきます。他人のカルマを判断するのではなく、自分の学びを一歩ずつ進めていただきたいと思います。