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自分の宇宙

 最近のニュースでは、いじめや保身、利権を守ろうとする側が隠し切れない状況に陥り、益々追い込まれていく場面がよく映し出されています。全ては役割ですので、善も悪もありませんが、集合意識レベル、もしくは各自に応じたカルマの清算をする必要があります。霊性修行を進めていく場合、イエスが言うように、「罪を犯したことのない者だけ石を投げよ」「人を裁いてはならない」が基本のスタンスで、状況に巻き込まれないで認識する立場にいる必要があります。霊性修行の進み方を理解する一つの見方は、このことが上手くできているかですが、対岸の火事のように無関心とは全く違いますが、ニュースなどを見て感情が巻き込まれていない場合は、マインドがコントロールできているとも言えます。ただし、自分に何かしらの役割がある場合は、内なる強い衝動が起こるでしょうから、その場合は役割として自由に表現してかまいません。

 これを真我の立場からみると、この宇宙が全て自分の投影であることが分かりますので、たとえて言うなら、自分の体のように世界を見ていきます。我々の体の中にも、善玉菌と悪玉菌の戦いや、がん細胞とキラー細胞の戦いなど、無数のやり取りがあります。通常我々はそれに気づいていませんが、病気や痛みを感じたときに、はじめて気づき、それを治そうとそこにフォーカスしていきます。しかし、自分の体であることを知っているために、その病気にとって必要なことをしたり、良い食事をしたりなど、バランスを取ろうとすると思います。また病気はストレスによって心身のバランスが崩れるように、より根本の原因を修復しようとします。また病気で悪いところを手術で取り除いた場合、やはりそれも自分の体の一部ですので、一時的な場合もありますが、無傷でいることはできません。

 このようにある学びの段階になると、宇宙を自分の体のように感じ、一般的に言われている世の中の善と悪も、体の中でバランスを取る働きとして、すべてを真我としての私の一部、もしくは神の表れとして見ていきます。ある学びの段階になると、現象面での出来事に気づいていている場合、誰よりもその痛みを自分の体のように感じてはいても(正確には認識していても)、そこに役割がない以上は関与せずに、常にその根本からのバランスをとり続けています。


 時々、スピリチュアルの学びをする人の中に、災害や事件、事故などで亡くなった方々を、役割が終わったとか、アセンションに付いて行けない人々、というような自分と他人が分離した考え方をする方がいますが、この世は全て幻想であるという自らの体験による絶対的な確信がある場合は問題ありませんが、そうでない場合は幻想の中の自分をまだ真実と思っている学びの段階ですので、自分と他人を区別して判断しているため、愛の学びからはずれてしまう場合があります。宇宙全体を自分の投影と見ないで、自我のレベルで、自分は救われている、アセンションに向かっているというように考えてしまいます。

『あなたが自分を身体と同一視すれば、そこには名前と形がある。だが、あなたが身体意識を超越するとき、「他者」も共に消え去る。真我を実現した人は、世界を彼自身と別のものとしては見ないのである。』(マハルシ)


 個別化した魂としてみた場合、我々は宇宙のある惑星のカルマを地球で愛に変える役割だったり、自分に関わりのある土地のエネルギーのカルマを持っていたりと、壮大な試みがこの地球でなされています。スピリチュアルの世界では、アセンションとは地球が3次元から5次元への移行と言われていますが、ある惑星は地球のアセンションに合わせて5次元から7次元にアセンションするようになっています。正確には地球が進まないと進めない状況です。ですから、ある人が命を失った場合、あるカルマを地球で愛に変える必要が宇宙のアセンションに対して絶対的に必要な場合は、それを誰かが受け継がなくてはなりません。先祖の因縁でしたら、一族が一般的には受け継ぎますが、今はそのような悠長なことも言ってられませんので、この地球を救う目的で来た魂たちがそれを代わりに受け継いでいく場合があります。

 ですので、ある段階の学びに来た人が、急に何かわけの分からないエネルギーを感じたり、絶えずある種のエネルギーを浄化する必要があったりと様々な状況が出てきます。考えようによっては、自分の役割を果たしていると言えますが、時には中学生に高校生の宿題が与えられるような状況も出てくるため、一杯一杯に感じてしまう人たちもあるかと思います。これも受け取り方によっては、もっと真剣に霊性修行を進めなさい、というような愛のメッセージと考えることもできると思います。

 我々も右足を怪我したら左足が自然にかばうように、真実は自分の宇宙のバランスを取っているだけですので、そのことを理解して、腹をくくって進む必要があるかと思います。魂レベルでの承諾、神の許可がなければ何事も起こりえませんので、他人の所為にせずに進んでいただきたいと思います。


 また、個人レベルでも、目覚めているときにはどうしても自我に翻弄されてしまうために、アセンションに間に合わせるためには、自我の働きが弱まる魂レベルでの活動をたくさんする必要が出てきます。つまり、たくさん寝る必要がありますので、最近とても眠いとか、いくら寝ても足りないと感じる人は、すべての人が当てはまるわけではありませんが、ある意味仕方がありません。瞑想が熟達してきますと、魂レベルの活動を感じながら、この現実社会を普通に暮らしていくこともできます。つまり、多次元を意識的もしくは無意識的に生きていきますので、そういった意味でも、瞑想を練習していただきたいと思います。

 この宇宙を自分としてみることができるか、それとも自我としての自分が在り、宇宙が在ると見るのか、真我の学びをしている人たちは、意識の中心点を確認していただけたらと思います。

『私は身体だ」という誤った知識がすべての災いの原因だ。(マハルシ)