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三種御祓

 「悟り」「真我実現」の教えは、時間と空間を越えた普遍意識への教えですので、時代や国によって導き方の違いこそあれ、基本的には同じ教えになります。そして、真我実現を目指す方にとっては、聖者との交わり(サット・サン)による、沈黙の教え以上の教えは存在しません。それは何故かと言ったら、言葉はマインドの働きによるものですので、最終的にはマインドを超える必要があるからです。聖者はあらゆる次元を網羅しますので、言葉では全て表現はできませんが、分かりやすく言えば、聖者のオーラの中に抱かれることによって、浄化のプロセスが進み、聖者から放たれる愛が共鳴して、音叉のように我々の愛が目覚め始めていきます。ただし、何を受け取れるかは、100パーセント受け取り手の問題です。そこには信頼と真剣さが大切な要因になります。

 時々、「全て自分が創造しているのなら、自分だけでできるはずだ」と思っている方がいらっしゃいますが、これは「自分」という解釈がごっちゃになっています。実際には創造しているのは無限の真我としての自分で、多くの場合、できると思っているのは制限された自我ですので、「全て真我が創造しているのなら、自我だけでできるはずだ」という言葉に置き換えると、矛盾していることがお分かりになると思います。ただし、一部の聖者のように、人間としての導師(グル)に付かずに悟っている人もいることは事実ですので、人間的表現を使えば、余程の天才でないかぎり難しいと思えばよいかと思います。面白いもので、導師に導かれることなく悟っている人が、ほとんど導師の必要性を説いていることです。


 しかし、このような普遍の教えは、多くの人たちにとってはとても難しいと感じられるのも事実です。マインドを超えた世界を、マインドで理解しようとしますので、結論としては、全てを理解できないのが当たり前です。また、「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けると教わっただけで、素直にその教えを信じて、真剣に行い続けていたような時代と違い、現代は様々な情報で頭でっかちになりましたので、真我に対してマインドの正しい方向付けをする必要があります。多くの場合は自分の頭を納得させるために、試行錯誤しながら進んでいくと思います。

 その過程で、様々な教えや情報を得ると思いますが、この世の中は諸行無常で常に変化していきますので、ある時学んだ教えが、今現在の状況に当てはまらない場合が出てきます。

 例を挙げれば、私がスピリチュアルな学びを始めた頃、アルツハイマーという病気は魂的にはこちらの世界とあの世を行ったり来たりしている状態なので、治すのはほとんど不可能であると教わりました。しかし現代の医療では、治る可能性がある病気とされています。これは、真我以外の教えや情報は、永遠の真実ではない可能性があるという良い例ですが、これらのことは、スピリチュアルや医療だけでなく、スポーツや政治経済、環境、教育など様々な分野に当てはまると思います。40代以上の人たちは、スポーツで体を鍛えるとき、うさぎ跳びやひざの上に人を乗せて腹筋をしていたように、現代ではひざや腰を痛めるためにしないことを、正しい鍛え方として行い続けていたと思います。食生活や体型も変わっていますので、それが間違っていたのか正しかったのかは分かりませんが、誰が間違っているとか、罪と罰のような概念を持ち込まず、全ては神の無限の創造の現れですので、今現在に適したものを、臨機応変に対応していけば良いと思います。ただし、自分の利益や名誉などのために、誤っていると知りながら意図的にしていた場合は、その方はそれ相応の結果(カルマの法則)から学ぶことになります。

 また地球の波動が上昇することにより、時間の密度が濃くなり、全てがスピードアップしていきますので、伝統的な教えを一つ一つ時間をかけてやっていくことも、既に時代遅れの場合があります。大雑把に言えば、かつて10年かけていた修行が1年で十分である場合があります。ヒーリングをしていて感じることも、オーラにある穢れ(ネガティブなエネルギー)の解放のスピードは益々進み、穢れの量もどんどん増えています。


 ここで、あまり真我の教えばかりですと、マインドが難しいと拒否反応してしまう方もいらっしゃいますので、その前段階としての教えも伝えたいと思います。

 私のセッションで、祝詞を唱えることがあります。その中の一つに、伯家神道で伝えられている三種御祓(さんしゅのおんはらい)があります。ネットで検索してみると、「三種大祓」という検索でいくつか出てきますが、私個人はどれが正しいとか間違っているとかの興味はありませんので、いろんな流派があるんだな〜、程度で深く吟味することなく、自分に合ったものを見つけていってほしいと思います。後述しますが、真剣に唱えることが大切ですので。

 聖者マハルシは、最終的には真我探求になるのだから、無駄なことはせず今から真我探求をしなさい、という教えですが、一般的には、真我探求の準備として、身体とマインドを浄化する何かしらの霊性修行が必要の人が多いかと思います。そのためにはマントラ(真言・祝詞)や、礼拝など、シンプルなものが適していると言われています。私の師の教えですが、「仏陀が言ったように、全ての人が悟ることができる。それが大前提であるからこそ、一部の人しかできないような複雑な教えや行があるならば、それ自体既に間違っている。」ということですので、シンプルな教えで十分です。


 ここでは、マントラ(真言・祝詞)について書きますが、このような聖なる言葉=言霊の大切な点があります。それは、誰から伝えられたか、誰(どのような学びの段階の人)が唱えているか、どのような心で唱えているか、ということです。ですので、これから三種御祓について書きますが、ある聖者(グル)からマントラ(真言)を授かっている人は、そのマントラにグルの力が入っていますので、寄り道などせず、そのマントラを心を込めて唱え続けていただきたいと思います。

 少し厳しい言い方ですが、他に目移りをすると言うことは、グルを信頼していないということになりますので、そのような心の状況では、良い結果はあまり望めません。グルを信頼することがどれほど容易な道になるかは、実践した人にとっては疑いの余地がありませんが、何度も言うようですが、霊性修行は信頼と真剣さがとても大切ですので、結果に対して期待をせず、焦らず進んでいただきたいと思います。


 三種御祓とは「とほかみえみため」という8文字です。現在の皇室のことは分かりませんが、明治天皇までは伯家神道の教えである十種神宝御法を受けていますので、少なくとも明治天皇までは唱えてきた言葉です。意味はいくつかありますが、「とほかみ」とは遠津御親神(とおつみおやのかみ)という意味で、ご先祖様、神様ということ、「えみため」は漢字を当てると「恵(笑)み給え」で、恵みを与えたまえ、微笑みたまえと言う意味です。つまり、「ご先祖様・神様、恵みを与えたまえ、微笑みたまえ」という意味になります。ですので、この言葉を唱えると、天照大神が神世から祈り返してくれるとも言われ、そのために「100日の咎(とが)」を逃れることができる、と言われています。つまり、神の祝福受け、カルマの浄化を促すマントラになります。

 これらのことを聞くと、「ガヤトリーマントラ」を思い起こす方もいらっしゃると思います。ヒンドゥー教のマントラで、カルマを浄化させ神聖を目覚めさせるマントラです。先ほど誰から伝えられたかが大切といいましたが、ガヤトリーマントラは聖者サイババが全ての人々に向けてオープンにしたため、全ての人に効果があります。ですので、ガヤトリーマントラを唱えている人も、あまり寄り道はせず、それを真剣に唱え続けていただきたいと思います。

 また、「とほかみえみため」は、「とほ」=剣、「かみ」=鏡、「えみため」=美しい玉、という意味で、三種神器である『剣・鏡・勾玉』を意味する言葉でもあります。

 そして、「とほかみえみため」は本来、「ひふみよいむなや…」という47文字の「ひふみの祓い」を8文字に凝縮した「とほかみえため」の変形です。漢字を当てはめると分かりやすいのですが、「とほかみえみ(身)ため」と「とほかみえひ(霊・秘)ため」と言うように、働きかける領域・次元に変化が現れます。霊性修行で言えば、はじめは「とほかみえため」で、ある程度の修行が進んだら「とほかみえため」に祝詞が変わっていきます。

 あくまでも私の個人的な感覚ですが、ヒーリングをしていて最近感じることは、「とほかみえみため」と唱えるだけより、「とほかみえひため」も使っていったほうが、浄化の進み方が良い人たちがいることです。ある意味、それほど地球の波動は上がっており、その恩恵によって我々は知らず知らずのうちにかなりの浄化が進んでいるとも言えます。

 霊性修行には様々な教えがありますが、過去生や環境などにより、自分に合ったものがあります。三種御祓は「大和言葉」であるため、日本人にはしっくりくる場合がありますので、少し唱えてみて、自分に適していると感じる場合は、浄化のプロセスに役立ちますので、ご活用ください。

 このことについて、聖者アンマにマントラを授けてくれるように求めた若者に答えたアンマの言葉は、とても役に立つと思います。

「あなたはクリスチャンとして生まれ育ちましたね。そのサムスカーラ(過去生などを含む潜在的傾向)があなたの中に深く根を張っています。ですから、それを考慮したほうがいいでしょう。・・・あなたはキリスト・マントラを唱えなければなりません。それがあなたのサムスカーラだからです。もしほかのマントラを唱えたとしても、長期にわたってそのマントラに集中するのは難しいでしょう。必ず矛盾する思いが心に湧き起こってきます。」


 また、既に瞑想により、沈黙の学びに進んでいる人は、そのまま沈黙の中で進めて下さい。自我=マインドが静まったあとには、我々にできることは何もなくただ待つだけになります。実際には自分には実感できないだけで、着実に感知できない領域での変化熟成が進んでいます。

 「あなたが何をするかではなく、何をするのをやめたかが重要なのだ。サーダナ(霊性修行)をはじめた人びとは非常に熱中し、落ち着きがない。道からはずれまいと、とても忙しくし続けなければならない。没頭できる、型にはまった過程のほうが彼らにはいいのだ。しばらくすれば彼らも落ち着き、静かになり、努力に背を向けるだろう。沈黙と平和のなかで、「私」という皮は溶け去り、内面と外面はひとつとなるのだ。真のサーダナとは努力の要らないものだ」(ニサルガダッダ・マハラジ)


 様々な学びの人たちがいらっしゃいますので、一見、矛盾しているようなことを書いてありますが、上記の聖者の言葉を考慮して、決して背伸びすることなく、自分の学びの段階をしっかりと見つめて進んでいただきたいと思います。


 三種御祓を録音しましたので、参考にしていただければ幸いです。一つ目は基本的な唱え方で、二つ目は節がついています。節(メロディー)があった方が感情レベルでの働きかけが大きいとダライラマ法王は言われています。また、唱える際の声の出し方ですが、のどだけで声を出さず、全身に声の振動が響くように唱えましょう。次のステップは微音で唱えます。声は小さいけれど遠くまで響くように唱えます。最終的には言霊でありながら、無音になります。これらのことは自分で唱えながら習得していきます。


三種御祓1・・・「とほかみえみため とほかみえみため とほかみえみため 神(かむ)ながら玉幸(たまちは)ひ給(たま)へ」
          ※神ながら玉幸ひたまへ・・・神の御心のままに為されますようにという意味の祈りの言葉で、
                        神社や神棚、仏壇などで唱えることができます。

三種御祓2・・・「とほかみえみ(ひ)ため とほかみえみ(ひ)ため とほかみえみ(ひ)ため 祓(はら)い給い 清(きよ)め給う」
          ※浄化、祓いのために唱えます。

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