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己が知らずの罪(おのがしらずのつみ)

 11月下旬くらいから、また大きな浄化の波を経験している方がいらっしゃると思います。世界中で政治や経済が混沌としています。リビアやエジプトだけでなく、大阪を見てもお分かりのように、旧体制から新体制への変化が起こっていますし、多くの人たちが求めています。お互いが役割ですので、どちらが正しいというのではないのですが、利権のように一部の人たちが得をする、または実際には違うけれど自分たちを被害者もしくは弱者を演じて援助を求めるような、古い価値観・エネルギーは何かしらの形で変化を要求されていくと思います。

 個人レベルでも同じように、新しいエネルギーを取り込みながら、古いエネルギーをどんどん吐き出している状態です。何度も書かせていただいているように、そのようなときにはうつ病や突然病気が顕現したり、わけの分からない犯罪が増えてしまいます。うつ病やパニック症候群のような心の病を克服した方々も、場合によっては元に戻ってしまったような症状を見せることがあります。これは元に戻ったのではなく、より深い潜在意識にあるエネルギーの浄化ですので、前向きに対処していただけたらと思います。

 よく、「いつまでこの浄化は続きますか?」という質問を受けますが、正確にはそれはおそらく誰にも分からないでしょう。しかしサイババは、2009年の2月に『私は皆さんの前で宣言します。全世界はこれから十八年以内に一つの家族のようになるでしょう。』と言っていますので、この言葉は一つの目安にはなるかと思います。ただそのときまでにはある程度の浄化は終わっているでしょうから、それよりは早いだろうとしか言えません。さしあたっては政治や経済の混沌が続いている間は、浄化のプロセスが続いていると思って良いと思います。しかし個人レベルではそれを早めることは可能です。

 ただこの世界は全ては自分が生み出したものであり、『他者は存在しない』『全てはひとつである』が究極の真理ですので、個我の問題が済んだら、『愛は苦しみを放っておけない』『真我実現したあとには他者を救うという欲望だけが残る』という聖者の言葉が示すように、楽になるとか、それで終わりであるということではありません。むしろエネルギーレベルでは、人々の多くの苦しみや悲しみのエネルギーを処理していくことになるのですが、自分のハートにこんこんと湧き出る愛の泉を常に感じていますので、辛いということではなく、至福を味わいながら愛の行いをし続けて生きます。

 浄化のプロセスにおいては一般的に言って、女性の方が感覚的に敏感ですので、症状を伴った浄化の影響を受けやすいです。しかしその症状が、情緒不安定や、動悸、不眠、ほてりなど、更年期障害や鬱の初期症状などとの見分けがとてもつきにくいです。ですので、ヒーリングのようなエネルギーレベルの対処だけでなく、月の光を浴びたり、イソフラボンを摂取するなどして、女性ホルモンのバランスをしっかり取ると、著しい改善が見られることがあります。たとえばおからは豆腐屋でただで頂けますので、家計も助けますし、私もよく利用します。ちなみに安くて簡単な私のお勧めレシピはこちらです。また、寒くなると体が冬モードに切り替わるため、体調を崩しやすくなります。半身浴などで免疫力を上げるために体温を上げる工夫をしたり、旬の野菜や果物などを食べて、体の季節への順応を助けてあげるのも必要かと思います。ただ、『何かをするのが面倒くさい』という状況にもなりますので、ある程度は気合を入れて乗り切る必要があるかと思います。



 本題に戻りますが、日本には『己が知らずの罪(おのがしらずのつみ)』というものがあります。知らず知らずのうちに、罪を重ねているということですが、罪とは我々が思っているような犯罪という意味の罪ではなく、本来罪とは、『包み(つつみ)』という意味で、神としての魂の輝きを包み込んでしまうもののことを言います。一般的には人の悪口を言ったり、心配や不安を抱いたりなどは当たり前のようにしていると思いますが、それらは一言で言ってしまえば愛(=ハッピー)ではないエネルギーを、思考や行為、言葉でもって生み出しています。生み出したエネルギーは必ず遅かれ早かれ自分に戻ってきますので、これらのエネルギーが知らず知らずの間に積み重なって、突然事故・病気・災難として現象化するというのが日本古来の教えで、それを防ぐ、もしくは防げないまでも軽減するために、定期的にお祓いをしましょうというのが、神社でするお祓いの意味になります。

 今はこの包み込んでいる膜のようなエネルギーがどんどん開放されています。そしてとても重要なことですが、エゴが強い人は、この膜の中に強力な膜があり、どうしても清らかなエネルギーがその中に入ることを拒んできます。

 スピリチュアルを学んでいるたちの中にも、「私は霊性修行を人よりもたくさんしてきた」「私は愛の学びをしてたくさん多くのことを知っている」「私は高度な通過儀礼を受けた」など、霊性修行が知らず知らずの間に優越感に変化して、この膜を強固にしてしまう場合があります。厳しい聖者になりますと、この自我を破壊するために、無視をしたり、嫌がっている仕事をさせたりして、プライドを傷つけるようなことを敢えてする場合があります。それほど自我は厄介なものですし、内なる神・愛とひとつとなることを目指している人たちにとっては、特にその厄介さに気づくことが必要かと思います。


 江戸時代、人相家の水野南北は井上正鐵(のちに伯家神道の免許皆伝を受ける)を見たときに「まれに見る吉相であるが、野垂れ死にするだろう」といいます。井上正鐵は人々を救いたいという、強い愛を持っていましたが、自我という有限の力で、無限のことをやろうとしていることを水野南北は見てとったのです。そこで、井上正鐵は水野南北に弟子入りを何度も頼みますが、「お前のような博識な人には教えることは何もない」といってそのたびに断ります。しかしあるとき井上正鐵は水野南北に「私を助けてください」と懇願します。その言葉を聞いて水野南北は弟子入りを許可します。

 この「助けてください」という思いがとても重要な場合があります。辛い人生が自我を打ち砕いている場合があり、心の底から救いを求めたときに、救い=神の恩寵を受け入れることが出来るからです。(そうは言っても、それもカルマと言って片付けてしまったら元の子もないのですが、弱みに付け込まれて人生を台無しにしてしまう場合もありますので、助けを求める人をしっかりと吟味することは必要です。)実際には全ての人に、今という瞬間に、惜しみない神の恩寵が与えられています。

 『神は誰も否定しません。あなたが神を否定しているのです。贈り物が差し出されたときにするべきことは、たった一つのささやかな行為です。あなたはそれを受け取るために、手を差し出さなければなりません。』(サイババ)

 先日もスピリチュアルに関心のある人が何人か集まり、ある人の人生相談にのっていました。その人以外の人たちは、指導している、助けているという思いがあったと思いますが、いざ瞑想をさせると、その女性の方が高いエネルギーを受け入れる準備が出来ていました。今までの人生が、楽しいものではなかったにせよ、自我を打ち砕くの大いに役立っていたという例です。

 己が知らずの罪を全く起こさないようにするというのは、通常は無理だと思います。まずはそれに気づくことが大切です。そして自分のエネルギーがクリアになってきますと、人の悪口を言ったり、ネガティブな思いを持つことに、気持ち悪さや違和感を感じてくると思います。そうなれば自然と減ってきますので、『全てに気づいていなさい』という聖者の言葉が示すように、自我に翻弄されないように、瞑想など自分に合ったものを見つけて、マインドを見張るための練習をしっかりとしていただきたいと思います。