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「千の風になって」の歌詞に「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません 。眠ってなんかいません。千の風に 千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。」という言葉があります。この歌詞のように、お墓や仏壇などはご先祖様にお祈りを捧げる場として意味を持ちますが、実際にお墓や仏壇にだけにご先祖様がいるということはありません。もしお墓だけにいるなら、ご先祖様は成仏していないでさ迷っていることになりますので、むしろ大問題になります。外国のある地域には、ご先祖様の頭蓋骨を玄関に置いているような風習が残っているところがありますが、日本もそうですが、ご先祖様たちと違う次元ですが、重なり合って共に生活しているという意味を持っています。
ネイティブアメリカンやアボリジニと同じように、日本は本来アニミズム(自然崇拝)で、森羅万象に神が宿ると考えていました。実際には太古の人たちは当たり前のように感じて分かっていたのですが…。日本で最古の神社と言われている奈良県の大神神社がそうですが、三輪山をご神体とし、山そのものを神として崇めていました。一般的な神社で我々が拝んでいるところは拝殿と言いますが、多くの神社は拝殿の奥に本殿があって、そこに神様が祀られています。しかし大神神社は本殿はなく、三輪山を参拝する形になっています。
そこで、ある時代から、そこの場所だけではなく、そのご神体のエネルギーを別のところでも恩恵を受けることが出来るように、勧請して神社を作ったり、お寺を建立したりします。ここで、重要な問題ですが、日本の代表的な神様である天照大御神とは、大日如来と同じように、宇宙を光で照らすというエネルギーで、天照になることによって、天之御中主と一つになる、インドで言うところの、アートマンとブラフマンの一致になります。つまり神人合一=悟りを意味します。真我実現したものだけが、世界を救うことが出来るといわれているように、天照大神になることによって、宇宙を光で満たす存在になります。何を言いたいかといえば、基本的には自分の達したエネルギーしか扱えませんので、悟っていなければ、天照大御神を祀ることは不可能です。即身成仏していなければ、大日如来を祀ることは不可能です。そこで本来祀ることが出来ない人が祀ることによって、聖地と呼ばれているところの多くは波動を落としていくという原因のひとつになるのですが(今は全てではありませんが、本来のエネルギーを取り戻しつつあります)、それは我々がカリユガの時代に愛を学ぶためには必要なことですので、全ては神の働きで誰が悪いということはありません。
ここからが本題になりますが、神々が本来の働きを取り戻しつつある現在、「千の風になって」と同じように、神社だけに私(神)はいませんという形になりつつあります。全てに偏在する神を神社だけに閉じ込める、良い表現で言えば、神社という形で神のエネルギーをお守りするという時代は終わりを迎えようとしています。霊山をはじめ、伊勢神宮などの特殊な神社や、ストーンサークル・ピラミッド・古墳のように、そこがある種のエネルギーの中心であることはあっても、そこだけが良い空間であるというのは、お墓だけにご先祖様がいるというのと同じように、むしろこれからの時代には時代遅れになります。
阿蘇を例にとっても、阿蘇神社では恭しく参拝しますが、ご神体である阿蘇山では遊んでくるだけの方がほとんどです。阿蘇神社の境内でトイレをしたらかなりひんしゅくを買うと思いますが、阿蘇山の草むらでトイレをしても、神聖な神々が宿る霊山で何てことを・・・などと、ほとんどの方が思わないと思います。実際には阿蘇山でのんびり遊んでいるほうが、神の恩寵をたっぷりと受け取ることが出来ますが、一般的には、祈りの場としては阿蘇神社のほうがお祈りしやすいですし、ご利益をいただいているような気分にはなると思います。
サイババは「何故あなたのような方が、仏像などの偶像崇拝を認めるのですか?」と質問されたとき、「子供からおもちゃを取り上げるようなことはしない」と言ったのですが、アセンションに向けて、神々への認識も変化する必要がありますので、伝統的なものの中に、価値あるものと、既に形骸化しているものとを見極める練習をしていただけたらと思います。
あなた自身が神そのものであること、この宇宙の創造主であること、全てはあなたの愛から生まれ愛に帰っていくことが普遍の真理になります。
『他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛することはできない。あなたではないもののふりをしてはならない。あなたであることを拒んではならない。あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。全てを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを疑いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべての生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていることを知るだろう。しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せない。なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。それは悪循環だ。真我の実現だけが、その輪を断ち切ることができる。固い決意でそれに向かいなさい。』(マハラジ)