電話でのご予約・お問い合わせは

TEL.096-368-9808

二つの立場

 ここで何度か取り上げている映画「マトリックス」や、最近上映された「インセプション」で表現されていることは、我々が生きている世界がどのように成り立っているかという、スピリチュアルの学びの助けになるかと思います。「インセプション」では夢の中に意識的に入っていき、そこで行うことが現実に影響を与えるという設定で、夢の中でまた夢に入り、そのまた夢に深く入っていくことで、潜在意識のより深いレベルに働きかけるというものです。ただこの映画と我々の現実と違う点は、我々が現実と思っていることが既に夢=マトリックス(仮想現実)であることです。

 聖者と我々との会話が難しくなる、もしくは全く噛み合わなくなる原因の一つは、聖者は真我の境地から我々が現実だと思い込んでいる現象界を、夢として、色即是空・空即是色が真実であるとして理解しているのに対し、一般的にはどうしてもそのことが信じられないからです。

 そこで、『真我以外は幻想で、夢以上の価値を持たないという立場』と、『この現象界を真実として捉える立場』に大きく分かれます。この現象界を仮に真実だとする立場をとると、夢の世界、アストラルの世界、多次元、平行現実は全て真実ということになります。

 例えば聖者のことばに、「自由意志は幻想だ」という言葉があります。「自由意志」や「原因と結果の法則」、「時間と空間」は現象界=夢の中での法則であって、真我の境地はそこから完全に自由な世界になります。しかし、いくらこのことを言われたり本で読んだりしても、通常は腑に落ちません。それは何故かと言ったら、腑に落ちていないのは、夢の中を真実として疑いを持っていない自分=自我だからです。インドなどではよく、自我=「身体ー心(マインド)」が自分だと言う思い込みが、苦しみを生むと言っています。


 聖者マハラジは「あなたは母親から生まれたのか?」と質問することがあります。通常は「生まれました」と言いますし、実際に子供を生んだ女性は「あんな痛い思いをして生んだことが幻想なわけがない」と言いたいと思いますが、マハラジは「しっかり調べたのか?」と問い、「あなたは何処何処で何時生まれたと聞かされただけだ。よく調べてみなさい。そうしたら母親から生まれていないことが分かるだろう」と言います。普通は益々ちんぷんかんぷんですね。

 「インセプション」では、夢の中で「死んだら夢から覚めるが、夢の中の痛みは現実だ」という意味の台詞があります。感覚も夢の中のものですので、その感情を基準にすると真実を見抜けません。例えば、催眠術をかけて冷たい石を「熱い石です」と言って手渡すと、熱く感じて火傷までするように、心=マインドが肉体と世界を創造しています。量子力学の世界では、実験者(観察者)が実験結果に影響を及ぼすことが言われていますが、実際には望む結果を創造できるという意味です。ただ我々はマインドにかなりの制限が植えつけられているために、それがスムーズに行きません。ただし、アセンションに向けて地球の波動が上がっていくにつれて、創造がしやすくなりますので、優れた発明や特効薬などがどんどん生み出されてくるかと思います。


 それではここで、母親から本当に生まれていないか、自由意志は幻想か、少し一緒に調べてみましょう。ただし、真我の立場から言えることですので、この現象界は夢と同じである=色即是空・空即是色が真実だと言うことが前提になります。

 まず何歳の自分でもよろしいですので、母親と一緒に食事をしている夢を見ているとします。夢の中での母親と自分の関係はどうでしょうか?夢の中の自分は母親から生まれたでしょうか?生まれていませんね。夢としてその場面が映し出されているだけです。また自分が自由意志を持って活動している夢と、自由意志なく、ただ映画のように流れていく夢を見ることがあると思います。つまり自由意志を持った自分という夢なだけだというのが分かります。また夢の中の母親もある行動や言葉をしゃべりますが、母親自身に自由意志はないですね。つまり夢すべてを、自由意志や感情を含め、自分自身が映画のように創造したのだと分かります。ですので、この世界が夢だとしたら、我々は母親から生まれていないし、自由意志も幻想だということが分かります。そしてこの夢としての無限の創造を可能にするすべての土台を真我=神=愛と呼びます。このことが理解できるようになりますと、「神に全ての責任があるから、全てを神に委ねなさい」という聖者の言葉が理解できるようになります。


 何故このようなことを言う必要があるかと言ったら、真我実現を目指すのであれば、人を本当の意味で救いたいのであれば、現象界を超えていく必要があるからです。聖者たちは次のように語っています。

『理解しようとしてはならない。誤解しなければそれで充分だ。解放を得るためにマインドに頼ってはならない。あなたを束縛に追いやったのはマインドなのだ。それを全て超えていきなさい。・・・・・・世界は矛盾でいっぱいだ。それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。それらを世界の中に見出すことはできない。世界とは混沌の子供だからだ。秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を現す。・・・・多くの人がパンを食べている。だが、小麦についてすべてを知っている人は、ほんのわずかだ。そしてそれを知っている人だけがパンを改良することができる。同様に、自己を知る人だけ、世界を超えた彼方を見た人だけが世界を改善できるのだ。彼らの価値は途方もないものだ。なぜなら、彼らだけが自分たちの解放への唯一の期待だからだ。世界の中に在るものが、世界を救うことができない。もしあなたが本当に世界を救おうとするなら、そこから出なければならないのだ。』(マハラジ)

『人は、ほんとうは世を救うことはできない。神だけがそれをなさるのです。』(ラーマクリシュナ)



 そこで、真我実現を目指す方々にとっては、次のことを本当の意味で理解しているかどうかで、自我の立場にいるか真我の立場にいるかが分かります。

『世界とあなた、どちらが先に生まれたのだろうか?世界が先だと考えるかぎり、あなたはそれに縛られているのだ。』(マハラジ)


 しかし、こういうことを聞くと「訳分からない」と頭が痛くなったり、スピリチュアルな学びを難しく考えたりしてしまう場合があると思いますが、実際にはそれが真実だと疑いもなく分かるようになると、自分自身がとても楽になります。しかもめっちゃ楽です。パソコンや料理、スポーツだって、はじめは上手くできないし難しいですが、練習することによって上達していきます。本来、スピリチュアルとは幸せになる教えです。難しいといって遠ざけるのは、特にアセンションというこの時期は勿体無いと思います。

 そして、誤ったマインドを正すためには、まず知り、そして良く考えることが必要ですが、真我=神はマインドを超えた世界ですので、結局のところマインドでは理解できません。体験するしかないのですが、そこで様々な霊性修行が世にあります。しかし、スピリチュアルな学びの基本は、「何もせず、リラックスして、静かな時間を持ちなさい」ということで、決して苦行ではありません。何度もここで書かせて頂いているように、我々は既にそれ=神だからです。この奇跡とも思える無限の創造を我々は例外なく、今現在常に、みんなしているからです。それが分かると、この世界を夢として楽しめます。私の師は「仏教はこの世界を苦しみと見るが、日本の教えは人生を謳歌することだ」と言っていました。謳歌するとは辞書によると「恵まれた幸せを、みんなで大いに楽しみ喜び合うこと。」になります。自分が至福=愛そのものであり、太陽のようにただ輝き、あらゆる生命に恵みを与えることになります。

 ただし、誤解しないで頂きたいのは、真我の立場の教えを自我が自分の欲望に都合よく当てはめてしまうことです。「何もせず」という言葉だけを取り出して、自分の仕事をなおざりにしたりですね。今いる場所に、つまり、すべての人間関係と出来事は我々の自我の浄化に必要不可欠なものです。真我の立場からは神の無限の創造が夢のようにただ起こっていると言えますが、自我がその夢の中から抜け出すためには、多様性の世界から真・善・美を選択していくというプロセスをふみ、「すべてを感謝して受け入れる」「汝の隣人を愛せ」「汝の敵を愛せ」という学びが通常は必要になります。

 「そんなこと分かっているけど、それが難しいのよ」とマインドが反応する方も多いと思いますが、夢の中の自分=自我=マインドに振り回されないように、忍耐強く練習を続けて頂きたいと思います。それが永遠の至福に至る道だからで、それを邪魔しているのが欲望や不安いっぱいのマインドだからです。