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ヒーリングという仕事を通して、私は今まで知ることがなかった女性特有の苦しみを知ることになりました。それは、流産や中絶を経験していたり、障害者を持っている女性の自分を責める強い思いです。
『自分に何か問題があったから・・・』
『私の若い頃の不摂生が・・・』
『私がしっかりしていればこんなことには・・・』
など、本来の原因とは関係ないところに結びつけ、自分を責めようとする傾向が見られる場合があります。そしてそれを誰にも打ち明けず、一人で苦しみを持ち続けてしまうこともあります。また、周囲から母親一人の所為にされ、責められて苦しんでいるケースもあります。
本当は間違ったことは何一つ起こっていませんし、原因がたった一人、たった一つということもあり得ません。それに関わる全ての人たちに学びとして必要なことが起こっています。流産や中絶にしても、必ずしも魂が宿っているわけではありませんし、体の穢れを流産という形でデトックスする場合もあります。ただ、水子供養という日本独特の概念が、罪の意識を生み出してしまいますので、この誤った概念を正すことによって、多くの人たちは救われると思います。それでは、水子についてのとても素晴らしい言葉を『黎明〈上巻〉』から引用いたします。
『流産する子供というのは、母親の心や身体に大きなストレスが掛かったような場合は別にして、何かしらの事情で肉体に魂が宿らなかったり、いったん繋がりを持った魂が出産前に離れってしまった場合にそうなるのですが、最初から魂が宿らなかった場合は勿論のこと、途中から離れる場合も魂の自由意志によるものですから、祟りも何もないわけです。ところが「子供を殺してしまった」という、母親や周囲の人たちの否定的な想念が、霊視すると見えるような子供の姿をアストラル・レベルに作り出したり、不幸と思えるような出来事を引き付けたりといった、それらしい現象を引き起こすのです。
日本ではこうした無知によって生じる罪悪感や恐怖心に付け込んで、霊能者を装った詐欺師や、時には大きな宗教団体までもが、水子供養と称して、全く実態の無い商売をしています。水子供養を仕事にしている人たちの中には、自らも無知であるために、それが奉仕であると確信してやっている者もいますから、必ずしも騙そうという意図があるとは限らないのですが、それぞれの動機と行為に応じたカルマが生じますので、このような虚偽に引っ掛からないためにも、私たちは多くの迷っている人達に対して、霊的な背景についての正しい知識を伝えていく必要があります。
このような自然に起こった流産に対して、人工的な中絶には、多くの場合は利己的な動機が絡んでいますから、カルマが生じるという点で別の視点が必要です。・・・・・・』
また霊視について知ると、もう一つ深く、その裏を理解することができると思います。霊視というものは以前も書きましたが、別次元が見えるという一つの能力です。そこで一つの問題は別次元が何処かというところです。通常は霊能者が自分の学びの段階に応じた次元を見ています。一つ例を挙げますと、ある子供がおばあちゃんにとても可愛がられていたとします。愛情の裏返しですが、このおばあちゃんは心配性でいつも孫のことを心配していました。言葉、思い、行為はエネルギーを生み出しますので、おばあちゃんの心配のエネルギーは孫に付きます。多くの人たちが経験があると思いますが、適度な心配は嬉しいかもしれませんが、度を越すとうざくなります。また私たちも心配しているときはハッピーではないように、心配のエネルギーは愛のエネルギーではなく、人を幸せにするものではありません。
おばあちゃんが亡くなったあと、ある霊能者がその孫を見て、おばあちゃんの心配のエネルギーをキャッチしたときに、通常はおばあちゃんが心配している姿で見える為、『おばあちゃんが今でも心配していますよ。』的なことを言います。しかし多くの場合それは生前に残したある種のエネルギーで、今も孫の後ろで実際に心配していたら、成仏していないことになりますから、大問題です。しかし一部の霊能者は、自分の霊視したものが完全に真実と思っていますし、それを聞く側も知るはずも無いおばあちゃんのことを言われますので、信じてしまいます。
それとは別に愛を基準にエネルギーをキャッチする人がその心配のエネルギーをキャッチした場合は、愛では無いエネルギーで、気の流れを止めてしまうものとして、言ってみればゴミとして扱います。
つまり、心配のエネルギーをどのように変換するかで全く違ってしまう場合があるということです。ですので、水子の祟りというのも、多くの場合は自分たちの罪の意識がエネルギーとしてある種の形をとってまとわり付きます。例えば、『水子が恨んでいるのではないか』と思い続けている場合は、そのようなエネルギーを生み出しますので、一部の霊能者は恨んでいる赤ちゃんが見え、『水子が悲しんでいるのではないか』と思い続けている場合は、悲しんでいる赤ちゃんが見えます。そこで、霊能者にそのことを言われると『あ〜、やっぱり・・・・』と思い、罪の意識が更に増してしまいます。そしてそのようなネガティブなエネルギーは、遅かれ早かれ、事故・病気・災難として現象化してしまいますので、何か起こったときに水子の祟りだと思い込んでしまうのです。
そして人口中絶についてですが、聖者の中にはしてはいけないという人と、無駄なカルマを生み続けてしまうなら中絶しても良いという聖者もいます。それではどっちなんだと思うかもしれませんが、善悪の問題ではなく、ある種のカルマが生じるということです。良い悪いの問題ではなく、原因に対して何かしらの結果を体験することになるという意味です。また中絶されることによって、カルマの清算を行う魂も実際には存在します。スピリチュアルの世界では、子が自分の学びとして必要な親を選ぶと言われているように、そうなることを知っていて宿る魂があると言うことです。つまり必要なことが起こっているのですが、通常は罪悪感を生んでしまいますし、またこういうことを知ると、自分を都合の良いように正当化して何してもオッケーみたいな考え方をしてしまう場合には、本来の愛の学びからずれてしまう場合がありますので、そこには注意が必要です。
そして全ては一つと言う境地から見たときには、実際には生まれるものも死ぬものも何もない、全てを夢のようにはかないドラマとして見ていきます。そのときにカルマを全て超えることができるので、罪とか罰とかは存在しないことが理解できるのですが、夢の中の住人であり続ける間は、カルマのゲームに翻弄されてしまいます。そしてカルマのゲームの中では、通常は欲望と不安が根底にあるため、必ず苦痛が生み出されます。ですから悟った人たちは、まず夢から抜け出しなさいということをしきりに言うのです。
そうは言っても、罪悪感に苦しんでいる人たちは、まずその罪悪感から解放される必要がありますので、間違ったことを教えられて、その為に本来持つ必要のない苦しみを、罪悪感を持ち続けていないか、確認して頂けたらと思います。聖者マハルシは、ある過ちを犯した人にこう言います。
「あとになって過ちを犯したと考えさえしなければ問題にならない。真我はどんな罪も知らない。・・・あなたはつねに純粋である。・・・・」