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幸せへの道

 我々はみんな幸せになりたいと思っています。この幸せになりたいという思いが何故起こるかといったら、我々の魂が神と一つとなっていた至福を知っているからです。ですから幸せになりたいという思いは当たり前のことですし、素晴らしいことです。あまりにも霊性修行に真面目な人たちの中には、この幸せへの思いを自我として否定するかもしれませんが、悟りたいという思いと本来は同じです。問題は幸せを外の世界=物質社会に求めてしまうことです。インドでは、サット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福)が我々の本当の姿であることを伝えていますが、幸せを外の世界に求めるのではなく、既に我々の本性が至福だからそれに気づくこと、神道的に言えば、神の輝きを包み込む穢れを祓うことが大切になります。

 幸福と至福をここでは使い分けていますが、あくまでも人間的な感覚で言うと、男女の情熱的な恋や目的を達成したときに感じる思いが幸福で、孫を微笑みながら見守る、美しい景色を見ているような、見返りを求めないより静かな幸福が至福に近いかもしれません。
 霊性修行のプロセスにおいても、あるときに子供のような無邪気さが蘇ってきて、毎日が楽しく、若干ハイテンションになるのですが、それを通り過ぎるとより静かな境地に至ります。

 そこで幸福になるためには、我々は生まれる前に感じていた、神と一つとなった状態へ戻れば良いということになります。これを日本では神社の形式で伝えています。我々は神社に参拝するときは鳥居をくぐり、参道を通って、お宮にお参りしますが、この過程は我々が生まれる過程の逆を表しています。子宮(お宮)から参道(産道)を通って生まれてくるということですね。巨石によくある母胎回帰や胎内回帰と同じですね。余談ですが、伊勢神宮のご神体である鏡をGHQが調査した際、鏡にはヘブライ語で「ありてあるものなり」、つまり I am that I amという意味のことが書かれていたという説があります。真偽のほどは別にしても、実際には天照を祀る神社はそういうことになります。I am that I amについて、聖者マハルシは神を最もうまく表現した言葉と言っていますが、真我=愛=普遍意識と同じです。また、そのことを聖書ではヤハヴェと言ったりもします。「真我実現をしたときだけ世界を救う力がある」とインドの聖者は伝えていますが、それが天照ということですね。この宇宙を愛という光であまねく照らすということです。

 しかしいつの頃からか、神社でお願い事をするということになってしまいました。だからといってそのことが悪いことではありません。そのようなお願いをすることによって神と触れ合う機会が与えられているとも言えますので。

 ただ、アセンションが起こるとするならば、今までとは神の働きが変わってきます。アセンションは日本では三千世界の建て直しと言われていますが、その際にはスサノオ(国常立尊)が働くと言われています。スサノオとは言霊的に解釈すれば、ス神(大元の神)の働きに正していく神ですので、神の意思に反する働きはドンドン正されていくことになります。スサノオが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する話が古事記にありますが、八岐大蛇とは言霊的に解釈すれば、無限に広がった(ヤ=たくさん、マタ=分かれる)、愚かな知(オロチ)を表します。仏教で言うところの無明(むみょう)のことです。これを退治して、知恵の象徴でもある剣(つるぎ)を得ます。ですから剣には邪(=蛇=オロチ=愚かな知))を祓うという意味があり、また天地を繋ぐなどの意味もあります。

 ですので、(厳密に言えば全ては完璧で間違ったことは何一つ起こっていないのですが、)これからは今まで以上に神の意思(=愛)に反する生き方に固執する場合は苦しみの世界に入っていくと言われています。それは神の罰というよりは、気づきを与えるチャンスです。バブリーな経済やエリート意識、学歴社会、利権が絡んだ一部の人が(幸せになるのではなく)得をする仕組みなどに固執するのは、これからの時代には得策ではないかもしれません。

 また、過去生や先祖の因縁のバランスも取らなくてはならない場合があります。この不景気の為に、バラバラだった家族が集まったり、今まで家にいた人が外に出て働かなくてはならなくなったりと様々なことが起こると思いますが、一つ例に挙げれば、過去生で敵同士だったものが家族として生まれ変わり、力を合わせて生活をするという学びが必要な場合があります。ですので、ある程度のお金があるときには自分の自由に生きることができたけれど、それができなくなって実際に家庭に変化があった場合などは、「まだ未消化な家族の学びがあるのかもしれない」というような思いを、頭の片隅においておくと良いかもしれませんね。


何のために生きているのか? 本当の幸せとは何か? 自分が固執している思いは幸せに導くのか? 幸せになるにはどうしたらよいか?などを自分なりに考えて、現実社会と上手にバランスをとってスピリチュアルな学びを進めて頂けたらと思います。