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神社の神とは

 神社や聖地を参拝していると、お祈りをしたり、神事・儀式をしたり、祝詞を唱えたりと、人それぞれによって色々な参拝をしているのを目にします。どのような参拝をしても、例えば、犬の散歩で通りかかったり、写真を撮ったり、気持ち良いからと言ってそこでゆっくり座っていたり、運動をしたりと、それぞれにとって必要な学び、もしくは必要なエネルギーの流れがありますから、どの参拝が良いとか悪いとかというものはありません。

 ただ、内なる世界の反映が外の世界に現れますから、内なる神と深く繋がることによって、神社・聖地の神と深く繋がることになります。


 それでは、内なる神と深く繋がっていくと、神社や聖地で何が起こるか見てみましょう。

 内なる神と深く繋がる為には、神に完全に明け渡していくことが必要になってきます。(実際には内なる神と繋がっていくという表現自体が間違っています。本当は我々は既に神・真我・愛であるのですが、自我(エゴ)、マインドが幻想・錯覚を生み出しています。)まるで赤ちゃんが、母親の懐で安心して安らいでいるように、神に全てを委ねていきます。

 それと同じように、神社や聖地でも神に全てを委ねていきます。神道では、『神のまにまにまかせなむ』とか『神ながら玉幸(たまちは)ひ給へ』という表現を使います。
 神社や聖地、自然にはそれぞれの神々がいらっしゃいますが、その神に身を委ねていくと、その神から源へ向かうことになります。すると最終的には神・愛・真我という領域に入っていきます。つまりそこは『私はある』=アイアムの世界ですから、結局神社や聖地で本当の自分と出会うことになります。別の表現を使えば、神としての自分=真我が祀られていることが分かります。実際にはこの段階では聖地に行く必要すらありません。なぜなら宇宙が私の中にあることが分かるからです。しかし一般的には、神社や聖地、もしくは聖者のもとへ行くことによって、神と深く繋がりやすいということになります。

 神社では本殿の前に鏡が置いてありますね。本殿に向かい合うと、鏡に映った自分の姿を見るようになっているのですが、それは神はあなた自身であるというシンボルです。ですからお祈りや、祝詞を唱えるなど自分の参拝をしたあとは、全てを神に委ねて身を任せることをして頂きたいと思います。お祈りや祝詞を唱えると、その時に必要なエネルギーが流れたり、マインドや身体の浄化に役立ちますので、とても大切なことであり無駄なことではありませんが、お祈りや祝詞はある意味、マインドの世界ですから、もし神と一つとなることを目指すのであれば、マインドの世界で終わらせないで、より深く繋がることをお勧めしたいと思います。

 実はヒーリングも同じです。ヒーリングをしていくと、結局相手の中に自分自身を見ることになります。私は神事もヒーリングもしますが、それは何をしているかと言うと、内なる神と通じた段階までは入っていけますから、自分が達した領域へ至る道にある障害物をただ取り除くだけです。それ以外は必要ないのです。なぜなら我々の内にある神の光はあるがままで完全だからです。

 もう直ぐ聖者アマチのダルシャンがありますね。どんなエネルギーだろう?、何するんだろう?のようなマインドの世界を超えて、完全に全てを明け渡して見てください。数千の天使の軍団が来てヒーリングをしても、我々は悟ることができませんが、覚者に全てを明け渡すことは、最も速やかに悟りへのプロセスを進めてくれます。逆に明け渡しをしない場合は、どんな聖者の力も無力になります。このような素晴らしい機会を無駄にしないように、しっかりと物にしていきたいですね。