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OSHOは『西洋は外の世界を追求し、物質的には豊かになったが内面は豊かにならず失敗した。東洋は内の世界を追求し、内面の豊かさは手に入れたが、物質的に豊かにならず失敗した。これからは内と外の両方をやらなくてはいけない』と言っています。勿論、西洋や東洋の中にも、色々な国があり人種があり文化があるので、今現在、上のような言葉は反論しようと思えばいくらでもできるのですが、大事なところは内と外の両方やらなくてはならないと言うところだと思います。
日本は明治時代の文明開化以来西洋化が進み、現在では西洋を凌駕している分野もあります。西洋化の波が日本の大切なものを破壊したと言って嘆く人たちもいるかもしれませんが、むしろこれは世界を救う要としての日本には避けては通れなかったことのように思います。そして物質的な豊かさと内面の豊かさは両立できることを、日本はお手本として見せることができる最も適した国の一つだと思います。
それではスピリチュアルな世界での『東洋的なものと西洋的なもの』・『内と外』の違いを見ていきましょう。
近年、西洋的な新しい教えがたくさん日本にやって来ています。これらの中にはチャネリングやサイキック能力の開花、新しいヒーリングテクニックなどが多いと思います。これは何故かと言ったら、西洋的なものは外の世界を対象としているからです。つまり、自分と高次元、もしくは自分と自分でないものという意識が前提にある場合が多いのです。
面白いことに東洋的な教えの一つには、これらとは全く反対のことが見られます。例えば瞑想等をしていて、神や仏の姿が見えたり声が聞こえたら、『それはお前の心が作り出したものだ。無視しなさい。』『そういった世界で時間を浪費するな。素通りしなさい。』と言って、サイキック能力を否定していきます。また、サイキック能力を開花していくと、それを人に伝えたいとか教えたいという思いができますし、場合によっては人に認められたいという思いが起こる場合もあります。よって自分と他人という分離間を助長してしまうので、全ては一つであるという東洋的な導きから言ったら、害になる場合が出てきてしまいます。ですから悟った人たちは、『真我探求(私は誰か?)』への道を、『I
am that I am=私は在る』の領域への道を教えるのです。それが神と一つとなる最も近道だからと言うのです。
それでは東洋ではヒーリングは必要ないのかと言ったら、そうではありません。神と一つとなるのを妨げているエネルギーは浄化していく必要があります。
西洋的な教えに身を置いている人の中には、様々なヒーリング法を身に付けたり、ものにしたりするのに苦労している方もいると思いますが、実は神と一つとなるプロセスが進めば進むほど、ヒーリング法は単純になっていきます。私は、『ある段階になったら人を癒すのに、【あ】という一言で充分だ』と教わりました。また最高のヒーリングの一つは、神道的な表現を使えば御霊の力で浄化していくということです。そのような段階になった時には、『共にいる』ということがヒーリングになります。覚者であるラマナ・マハルシは『一瞥で浄化する』と言っています。そこでサットサン(賢者あるいは真我との交わり)が霊性修行において大切なものと言われています。ですから覚者であるアンマのダルシャンを受けることは、この上もなく素晴らしいことなのです。
ちなみに神道ではどうかと言いますと、あくまでも私が学んできたものですが、真我を探求していくと言うよりも、御霊の自由を取り戻す、もしくは御霊が自由に動き出すというニュアンスの方が、私にはしっくり来ます。ただし、真我探求も神道も、神・真我・愛に全てを明け渡していくこと、絶対他力が必要になってきます。
またこのようなことを書くと、私が西洋的なものを否定しているように感じ取る方もいるかと思いますが、そうではありません。西洋的な情報やヒーリングで、多くの人たちが目覚め、癒され、霊性を向上させていることは紛れのない事実ですし、これからも必要です。人によっては性向の為、真我探求のプロセスは退屈だったり、始めは成長を全く感じることができない場合もあります。
ただ、始めにOSHOの言葉を載せたように、私も内と外の両方が必要だと感じているからです。また、真我探求というアプローチをご存じない方もいらっしゃいますし、素晴らしいヒーラーを目指している方の中には、自分が何を学ぶのが良いのか考えている方もいらっしゃいますので、バランスよく霊性修行を行う為に選択肢を広げて頂きたいと思ったからです。あくまでも選択肢です。何を選び学んでいくのかは人それぞれの自由ですから。
しかし、本当に霊性の向上を目指すのであれば、東洋的なものであろうと西洋的なものであろうと、神と一つになることを望み、真剣にその道を歩むことが必要です。
「私(=神・真我)にのみ心を置け。私に知性を集中せよ。その後、あなたはまさに私の中に住むであろう。」(バガヴァッド・ギーター)
時々より多くの情報を、より新しい情報を入手したがり、新しいヒーリング方法を学ばないと自分が取り残されていくように感じている方が見受けられます。全ては必要な学びが今という瞬間にあるので、そのような思いすら無駄な学びではないのですが、神と一つになるには心の平安が大切ですので、神と一つとなることを目指すのであれば、そのような思いは必要ありません。神としての我ではなく、エゴがそのように思わせているのです。良く言われているように、獲得するものは失う可能性があります。我々は『私は在る』というところへ向かっているのです。 全ての人は神の分霊です。神としての自分の素晴らしさを、本当の自分の素晴らしさを知って頂きたいと思います。
悟りへのプロセス、もしくは真我探求において次の本がお勧めです。
神の詩―サイババが語る「さとり」への道 ・ あるがままに―ラマナ・マハルシの教え ・ 不滅の意識―ラマナ・マハルシとの会話