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マインドの浄化

 「すべては自分の鏡である」という教えがあります。しかし、あまりにも真面目に考えてしまう人たちの中には、自分が出会う嫌な出来事や人々を全て、自分の鏡だからとある意味強引に自分の中に悪や憎しみ、争いなどを見出して、必要以上に自分を責めるように考えすぎてしまうために、自己嫌悪に陥ってしまう場合があります。

 真我を土台として起こる無限の創造において、この地球は多様性の世界で、宇宙の矛盾を愛に変える星であるため、矛盾、理不尽、不調和にあふれています。それを全て自分の鏡だからといって、自分の所為にしてしまう考え方はとても辛くなってしまいます。勿論「人の振り見て我が振り直せ」のような考え方は必要ですが、矛盾だらけの世界を全て自我としての自分の責任として背負うのではなく、愛と許しを学ぶための惜しみない機会が与えられて、その中で我々は成長していくと、ある程度は心にゆとりのできるような考え方をして、進んでいただきたいと思います。


 スピリチュアルの世界では「自分が変われば世界が変わる」とか「人を変えることはできない」と言われています。真我から見たときには、実際には「変えるべき他者や世界は存在しない」「全ては愛に満ち溢れている」ということが分かっていますので、あるがまま見ていくことになります。時にはその態度や考え方が、冷たいような無関心のような感じを抱かせる場合もありますが、実際にはその人の存在が、宇宙全体に愛・光を常に放っていますので、何もせず、もしくは何をしていても常に宇宙全体を救い続けているということになります。

 ただし、救うということに対しては、我々一般的な思いと、神の救い方は違います。神は真我に目覚めることが救いですので、時としては事故・病気・災難という手段を使います。

 「真我は非暴力の法則に縛られてはいない。真我はその表現に、それを正すために苦しみを負わせる自由を持っている」(ガンディー)


 私のところにもよく、世の中の不幸や不調和、矛盾を熱く語り、その中で何もできない自分を憂い、自分には使命があるのではないか、ということを思っている方々がいらっしゃいます。この思い自体は素晴らしいものでありますが、実際には他者は存在しませんので、他者を救っているようで本当は自分自身を救っていたということになるのですが、違う表現を使えば、全ては他者との係わり合いから、自分のマインドの浄化をしていたことが分かります。

 『あなたは辺りを見まわし、理解もせずにその現われを実在と見なしてしまう。あなたは世界とあなた自身を知っていると信じている。だが、「私は知っている」とあなたに言わせているのは、単にあなたの無知にすぎないのだ。知らないことを認めなさい。そしてまずそこから始めなさい。無知を終わらせること以上に、世界を助けられることは何もない。そうすれば、世界を助けるために何か特定のことをする必要はもうないのだ。行為をしようと無為であろうと、あなたの存在そのものが助けとなるのだ。』(ニサルガダッダ・マハラジ)



 それでは、まず下の図を見てください。真我・普遍意識・空・愛・神・仏・道(道教)・生命(いのち)など、様々な名前が付いていますが、皆それぞれ同じことを基本的には伝えています。真我は実際にはあらゆる創造の土台であり、図のようにある領域に限定されません。無限に広がる意識であり、真我だけが永遠普遍に真実・実在になります。黒い部分は幻想を表現していて、本来は真実として存在しない領域を表しています。


 上の図にマウスを乗せてください。黄色い点は、真我と幻想の接点で、「私は在る=I am」と言われています。真我の無限の創造の始まりで、「私は在る」から、まるで真っ暗な部屋に穴を開けて光を入れると部屋の中が見えるように、幻想という暗闇に光が入ります。神道では目を瞑った世界が神世と言われているように、目を瞑っているときは真っ暗で目を開けると世界が現れるように、光が灯されます。青い部分はマインドを現しますが、そこにそれぞれの記憶に基づいたマインドがフィルムの役目をしてそれぞれの宇宙を投影していきます。大切な点は一般的に自分と思っている存在=自我(肉体と精神)と同時に世界が現れることです。

 また、マインドには目覚め・夢見・眠りの三つの状態がありますが、眠っているときにはブルーで表示しているマインドは、真っ暗なフィルムになりますので、世界と自分は映し出されません。このことは「私は在る」の領域に留まることができると、つまり認識者の立場に立つと理解できるのですが、眠っていることと、眠りの中では世界が存在しないことを意識していることが可能になります。聖者は眠らないというのはこのことを言います。

 また、一般的に考えられているマインド=心=頭は、映し出された自分の中にあると思っていますが、実際にはマインドが肉体を投影しています。そして赤い線で書かれているように、自我から認識者を通じて真我に達することが悟るための、真我実現のための霊性修行になります。太陽の影を真実と思って外の世界に向かっているマインドの向きを、内側に向けることが大切であることが分かると思います。

「あなたがすべきことは「私」の源を見いだし、そこにとどまることである。」(マハルシ)
「至高なるものはもっとも到達しやすいのだ。なぜなら、それはあなたの存在そのものだからだ。考えることをやめ、至高なるもの意外を求めないこと、それで充分だ。」(ニサルガダッタ・マハラジ)

 しかしそれが難しいのは、マインドの特徴が外の幻想の世界を真実と思い込み興味を持つからです。

 そして、ここが大切なポイントですが、「自我としての自分」が「他人や世の中」を変えられる、何かできると思い違いをしていることです。図を見て分かるように、マインドのフィルムを通して映し出された幻想の世界は既に始まっています。映画を見ている途中でストーリーを変えることが不可能なように、映し出された幻想の中の人や世界を変えることは不可能なことなのです。つまり、自我は不可能なことを可能なこととして期待し、そのジレンマに苦しむ傾向があります。

「あなたにできることは何もない。唯一できるのは心の置き方だけだ」「あなたは既に神の列車に乗っている。なぜまだ荷物を持っているのか?荷物を置いて楽になりなさい。」「世界のことは放っておきなさい。あなたを生み出したものと同じ力が世界の面倒を見るだろう」と聖者が言うのはこのことです。

 しかし、幻想の世界を真実と思い込んでいる人たちはこのことを受け入れることが難しいですし、自我は抵抗したり、「だったら怠けても良い」のような自分の都合の良い考え方をしてしまいますので、聖者によっては自分を捨てて他者のために生きる「奉仕の道」を勧めます。ただし、奉仕の道が霊性修行に役立つのは、「自分がしていると思わないで、結果を期待せず、全てを神に捧げなさい」という教えが守られたときになります。

 また、以前もサイキックの項で書かせていただいたように、マインドが善悪、天使と悪魔の戦いという概念に色づけされたときに、実際に天使と悪魔が戦う世界が投影されてしまうことが分かると思います。マインドというフィルムが入れ替わらないかぎり、天使と悪魔の戦いは続いていきます。

 そこで、現実を変えるにはマインドの浄化が最も大切であることが分かると思います。ストレスが溜まっているときは、逃げたり、落ちたり、怖い夢を見ますし、恋愛で幸せを感じているときにはそのような夢を見ないように、フィルムとしてのマインドが変われば、映し出される映像に変化が現れます。また、このようなことを書くと誤解もされてしまうのですが、真我実現すると自分が幸せになる、世界がパラダイスになるような考えを持つ方もいらっしゃいますが、その場合は真我の至福と自我の幸せが一緒になっています。イエスキリストが多くの人たちから石を投げられたように、ダライラマ法王がチベットから出なくてはならないように、通常思うような幸せになることではなく、ハートから至福が満ち溢れながら、自分の役割をただ演じていきます。ですので、正確には映像が変化をするか、変化しなくても至福に満ちて気にならなくなるかです。

 私はよくアセンションについて聞かれますが、その場合「私の宇宙は大丈夫かもしれませんが、あなたの宇宙は分かりません。あなた次第ですよ。」と答えます。そして、自分でしか自分の宇宙は救えないし、そのために必要なものを全てを持っています。

 ですので、アセンションが進むにつれて、マインドが愛に色づけされれば、人々が急激に目覚めて愛と調和の世界に進む世界を見ていくかもしれませんし、二極化し振るい落としがされ、そこから自分たちだけアセンションしようとする分離の意識がある場合は、二極化の世界で生き続けていく可能性があります。しかし、結局アセンションのプロセスにおける「振るい落とし」とは、マインドの浄化のプロセスのことだということが分かってしまえば、自分のすべきことも見えてくると思います。

 ただし、今回のアセンションだけは正確に何が起こるかは宇宙人や高次元の存在すら知らないとも言われていますので、自我のレベルから見たときには未知なことが多いかもしれません。ある意味、とても貴重な体験を肉体を持って経験できるので、とても楽しみですね。

 また、個別化した魂としては、既にアセンションをしたマスターたちが地球を救うために肉体を持って生まれてきていますが、自分が再びアセンションできない可能性すらあるのに、我々同胞たちを救いにきてくれています。つまり、自分のアセンションにはある意味興味がなく、他者をアセンションに導くものたちが、アセンションした人間の行動であることは頭の片隅に置いといて良いでしょう。


 そして、上の図からお分かりになるように、我々は既に無限の創造を行う創造主であり、既に真我実現されていることです。まず、このことを前提に霊性修行を進めていただきたいと思います。

「あなたは自分が思っているあなたではない。あなたは全てを超えた至高の存在だ」

 そして、それを実感するにはマインドの浄化が必要で、マインドが静まれば、無心になればよいことが一つの方法であることが分かります。そこで古から、瞑想や禅があります。そして真我が全ての幻想を打ち砕き、今度は真我からの愛が肉体を通じて宇宙全体に愛の光を放ちます。そのような存在になることを日本では天照大神と呼びます。

 アセンションに向けて、多くの人たちは地球と共に波動あげてアセンションしていきます。特に新人類の人たちの一部は、ある意味軽いノリでアセンションできる人たちもいることでしょう。ただし、現段階ではまだまだ激しい浄化のプロセスですし、苦しみの中で生きている人たちもいます。それをできるだけスムーズに、犠牲者を少なく進ませるには、天照大神が必要なのです。そのために、5年前には想像もできないほど、真我への導きに関する教えや情報が増えていることがわかると思います。

 また、今はダイエットやスポーツで体幹トレーニングが勧めれているように、肉体を高い波動に順応させるには、体幹トレーニングがとても有効です。このように、様々な流れでアセンションが進んでいます。この神の恩寵に感謝し、それぞれの学びを進めていただきたいと思います。